あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

2020-01-01から1年間の記事一覧

『枕草子』をめぐる数字

『枕草子』の絵画的特色はどのように生まれたのか。この問いの答えを求めて関連のありそうな近年の研究論文を探る。 赤間恵都子氏の「『枕草子』の雪景色―作品生成の原風景―(2014年)」に興味深い数字が紹介されていた。 笠間書院(2014年)の『日本古典対…

幽玄の絵画

武田裕子氏の日本画は、光と翳からなる幽玄を濃淡のあはひで漉きつつ透かして視せる。こうして、ありったけの言葉を詰め込み表現してみても、言葉は絵画の前に敗北している。夢幻の世界が無限に広がり、もうそれだけである。 ツイッターで見かけたまらなく魅…

学術書

学術書を読んでいると研究者の執筆スタイルにもいろいろあることに気づかされる。某書のアマゾンレビューに「…地の文章が…教養ある国文学者としては如何かと思われるほどにリアルで現代調なのも気になる。学生に感染したのかな…」というものがあり、正直、驚…

昔と今の詠歌

中世の詠歌は行事に備えて題詠を合計百首詠む習いのようだ。翻って現代は結社誌に月詠を送る形で歌の呼吸をする。 結社とは明治以降に創設されたものであるし、考えてみれば不思議な組織ではある。その歴史は長いところでやっと百年余り。現代歌壇と言えば、…

「重い主題」をきっかけに

詩歌の批評に関して参考にする機会の多い『俳句の世界』だが、不可解な箇所が一つだけある。小林一茶を次のように評した249頁である。 …ドナルド・キーン教授の『日本文學史』近世篇下(二二四-二五頁)に、一茶の句は確かに心に残るけれど、結局は「重い主…

「古今和歌集」の創造力

中世和歌を読んでいると、本歌取りの多さに気づく。『古今集』以外からの引き歌も多く、少なくとも三代集はしっかり鑑賞したいと感じた。特に『古今集』については何度知識を更新してもし過ぎることはない。そこで、しばらく前に読んだ本について記す。 清少…

十題百首

十題百首には、良経、慈円、定家、寂蓮が参加。二十八首残る寂蓮以外、三人は百首を各家集に収める。十題は、天象、地儀、居処、草部、木部、鳥部、獣部、虫部、神祇、釈教で各十首。 良経歌と定家歌の比較を楽しんだ。 良経歌に関しては、一一九〇年に入内…

定家の書写

『藤原定家全歌集 下』解説は、後鳥羽院との関係を拗らせた藤原定家が籠居に至り、一年後に勃発した承久の乱のさなか、多くの古典書写に及んだことを紹介する。『後撰和歌集』『拾遺和歌集』など三代集、『源氏物語』『伊勢物語』『大和物語』などの物語、『…

二夜百首

花月百首*1の次は、二夜百首である。これもとても興味深い。参加者は慈円、藤原定家、良経の三人。『秋篠月清集/明恵上人歌集』補注(314頁)に、ことの成り行きが記されている。 慈円『拾玉集』第二「当座百首」の跋文によれば、良経は建久元年(一一九〇年…

向き合う

このツイートが心に刺さり、記しておこうと思った。写実的技巧派である著名画家さんの九連投ツイートだが、芸術すべてにあてはまる事象だ。ただ、絵画ならデッサン、音楽や舞踏なら基礎…と技術を磨く道程のはっきりしている分野と歌(ここでは現代短歌になる…

仮名序と真名序

『古今集』の仮名序があまりにも白眉であるため、自分にとり真名序の影は薄い。だが、「花鳥の使」の意味を確認した際、仮名序と真名序の微妙な関係が垣間見えた。 古今集愛好者にとっての至宝である『古今和歌集全評釈 上』(87頁)を開くと、伝本によって…

花鳥の使の意

「花鳥の使」は古今和歌集真名序に見える言葉である。「(和歌は)…好色の家には、此れを以ちて花鳥の使となし、乞食の客は、此れを以ちて活計のなかだちとなすことあるに至る。故に半ばは婦人のたすけとなり、ますらをの前に進めがたし」。 『詩人・菅原道…

花鳥の使

和歌は日本の精神文化の中枢であり、それゆえ、人文系では多方面からその分野ならではの考察が行われる。これが非常に新鮮であり、美学の視点から和歌を扱った『花鳥の使 ―歌の道の詩学 Ⅰ』にも夢中になった。帯に「理(ことわり)ではなく、心を表し伝える…

アニミズム

白熊先生の「新型コロナウイルスと、呪術で戦っていませんでしたか」を読み、確かに手洗いは穢れを除くお清めのような行為だったと納得した。同様の衛生観念は、欧米にはなさそうだ。 日本で育てば、みな幼少期からアニミズム*1に囲まれている。それで、とき…

京極派をピアノ曲にしたら

これは絶対に京極派を音にしたイメージ。冒頭の Scintillation は「きらめき」。拝聴して瞬時に静謐なピアノの音色に引き込まれた。作曲家・高松克志氏の創作の根底には月、海、星のイメージが置かれているという。 Scintillation A Piece for Piano "Ocean"…

疫の時代に

疫の時代に、もっとも大切なことをみな思考している。健康を維持する食事、運動、睡眠など身体機能に関わる行動はさておき、これ以外で恵みを受ける活動は読書であろう。 本は好きだが、かなり偏っている。 創作と評論では、評論を好む。認識したい対象が豊…

もみもみと

語感、身体感覚、いずれにしてもうまく実感できない副詞に「もみもみと」がある。歌への賞賛なのだが、個人的にぴんとこない。 この言葉は『後鳥羽院御口伝』で源俊頼を評する際に使用されている。該当箇所では源経信の言葉における品格と優美に言及した後、…

雪月花

藤原定家「花月百首」に見えた雪月花を詠んだと思われる二首に関して。『万葉集 (四)』より大友家持の歌と『和漢朗詠集』より白居易の詩を引く。 大友家持 宴席詠雪月梅花歌一首 雪の上に照れる月夜に梅の花折りて贈らむ愛しき児もがも 雪の上に月が輝いてい…

季が二つ、ときには三つ

個人的に複数の季を含む和歌に興味をそそられる。一首のうちに、なにか、万華鏡のような異なる色の時空が動き始める感じ。変化に、それぞれの温度、匂い、濃淡が招喚され、鮮やかに浮かんでは消える気色に魅了されるといえばいいのか。瞬間を切り取る俳諧発…

移動の幸福感

「幸せの鍵は新しい場所!人の脳は「移動」を快楽と捉えていた」を読み、即、芭蕉を想起した。記事は身近な移動を取り上げているので旅とは少し異なるが、「移動」は確かに芭蕉が求めた快楽で、視野を広める特効薬だったろう。 幸福感を得るために新しいこと…

空と海と水平線

空と海と水平線…は好きな歌材で、季を問わず詠みたくなる。子どもの頃、よく青系の画材を取り出して、ただひたすら線を重ね引きし、空と海と水平線を描こうとした。視覚で濃淡を確かめる時間の心地よさ。やはりここにも心地よさが存在していた。 そんなこと…

シェークスピアのソネット

シェークスピアの十四行詩(ソネット)は、ロンドンがペストに襲われた時期(1609年)に出版された。 ソネットの発祥は、イタリア・ルネサンス期。従来ロマンス言語においてその音韻効果を発揮していたが、これが英語にはなじまないことからシェークスピアは…

微視と巨視

清少納言の『枕草子』は絵画的描写を用い、後宮の様子を活写している。なぜ、清女が絵画的視座を持ちえたのか。ひとつの試みとして、三代集における色彩、天象の扱いの他に、対象への距離感を調べる作業も加えたいと感じた。それは微視と巨視。『枕草子』に…

歌材と流れ

『花のもの言う』(280頁)に王朝和歌時代の歌材とその扱いについて興味深い指摘があった。隠すことが美徳のひとつでもあった当時、歌には「身体の部分、特に顔を構成する各器官をあからさまに歌わない」習慣があったと聞いても別に驚きはしない。隠すべきこ…

気になる花に菫がある。芭蕉と漱石の句で好きになり、赤人の歌でさらに、三十一文字にて詠まれる菫にも惹かれるようになった。 山路来て何やらゆかし菫草(松尾芭蕉) 菫ほどな小さき人に生まれたし(夏目漱石) 春の野にすみれ摘みにと来しわれそ野を懐かし…

橘は古典において多く貴く扱われている。 漢詩人である後中書王具平新王は次のように詠じた。 枝には金鈴を繋(か)けたり春の雨の後 花は紫麝(しじゃ)を薫ず凱風の程(和漢朗詠集・夏、橘花) 清少納言は、 花のなかよりこがねの玉かと見えて、いみじうあ…

和歌が伝える日本の美のかたち

六畳院さんが薦められていた『和歌が伝える 日本の美のかたち』を求めた。季節素材の扱い方を知りたかったのが一番の理由である。往時と現代では旧暦と新暦の存在から差異があり、人や書籍により言っていることがさまざまで曖昧になっていると感じていた。 …

良経の「枯野」詠草 

兄良通の急死から九条家の後嗣となり、妹任子の入内後、良経は歌人として才能を開花させていく。 最初の歌会主催は文治五年(一一八九年)、二十歳での雪十首歌会。これ以降、九条家を舞台に続々と歌会、歌合が開催され、新古今前夜的な時代に入ってゆく。 …

花月百首

藤原定家の拾遺愚草で花月百首*1を確かめた。歌人西行の追悼とは記されていないが、注釈欄には「建久元年(一一九〇年)九月十三日夜、九条良経の家で披講された」とある。作者は良経・慈円・定家・有家・寂蓮・丹後ら。同二十二日、百首から各自十首の撰歌…

飽きない

ツイッターのタイムラインに自らの飽きやすい性格を嘆いているツイートが流れていた。 飽きる。 飽きない。 そういえば歌は飽きないなあ、とあらためて感じ入る。その理由とは。しばらく考え、回答は定型にあると思えてきた。 つい先日、57577の定型で「心が…

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