あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

二夜百首

 花月百首*1の次は、二夜百首である。これもとても興味深い。参加者は慈円、藤原定家、良経の三人。『秋篠月清集/明恵上人歌集』補注(314頁)に、ことの成り行きが記されている。

慈円『拾玉集』第二「当座百首」の跋文によれば、良経は建久元年(一一九〇年)十二月十五日、同十六日の二夜の間、内裏直廬において、藤原定家と共に「五時之間」に詠んだという。慈円の「当座百首」は良経に求められて同題を翌建久二年(一一九一年)正月二十二日、二十三日の二日間に詠んだ速詠歌。定家の百首は伝わらない。

 二日間で読んだ速詠百首には二十題あり、霞、梅、帰雁、照射(ともし)、納涼、霧、鹿、とう衣、時雨、氷、寄雲恋、寄山恋、寄河恋、寄松恋、寄竹恋、禁中、神社、仏寺、山家、海路の各五首で計百首とした。

 「速詠」の一語から、歌ではないが、矢数俳諧を想起した。『俳句の世界』(76頁)を参考にすると、これは一人が一日でどれだけの句数を詠めるかの競争で、四百句から六百句が水準だったらしい。

 速吟に自信のあった井原西鶴は延宝五年(一六七七年)千六百の独吟記録を打ち立て、破られると延宝八年(一六八〇年)、四千句の独吟を敢行。四年後の貞享元年(一六八四年)、二万三千五百句の大記録を打ち立てた際など、会場の住吉神社には医者も待機。筆記役はとても記せないので句数だけ棒を引いていった。

 神がかり的、狂気の創作態勢である。一体、どのような精神状態だったのか。句の内容を考える暇などないだろう。口から出てくる言葉をただ収めるだけだったのか。脳内風景として何が見えていたのだろう。

 それでふと、もし自分が同じような時間の圧をかけられた状況で創作を強いられたとしたら、どんな言葉が飛び出してくるのか興味が湧いた。口語文になるかもしれない。日常の話し言葉がたくさん入りこんでくる予感がする。それでも古語を交え、何とか風雅な歌にしたいと踠き苦しむ。

 そこまで極端ではない二夜百首である。二十題を設けいつか挑んでみたい。少なからず刺激を受けた。

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