あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧

枕草子の描写表現

風巻景次郎は『中世の文学伝統』において枕草子の描写における「絵画的特色の粋」に触れ、「日本の歴史の上で未だあらわれたことのないものであった」と指摘している。例として最初に挙げているのは、「木の花は」の 34 段。 五月ついたちなどの頃ほひ、橘の…

文語と口語

口語短歌花盛りのコミュニティにあり、未来の三十一文字の姿を示してもらっている気持ちになる。現代において直情を発露するには、会話的口語表現はもっとも強い言葉の力を持つ。ただ巧く定型にはまる場合はいいのだが、はまらない場合には一瞬にして歌では…

旧仮名と新仮名

歌には旧仮名遣いを用いる。昔の時間とつながることができ心地良いことが理由。「詞は古く、心は新しく」の教えにも沿う。 けれど、ときどき、古さと新しさの混在に居心地の悪さを感じることもある。先日迷った「赤ずきん」と「赤づきん」。幼少時、絵本の扉…

十七文字と三十一文字

十七文字と三十一文字の比較。十七文字は江戸期の蕉風を頂点に、この先これ以上の雅には到達できないのではないかと感じる。それほど芭蕉の業績が、十七文字の短詩型において完璧な永久の雅をもたらしたということなのだが。明治以降は子規、虚子から水原秋…

晒すということ

「歌ぐらい、自分の言いたいことを詠んでいい」。これはよく祖母が言っていたことだ。裏を返せば、現実社会では言いたいことも言えず鬱屈した気持ちがどこかにこもっているから、歌には真実を詠み込めということだろう。それが歌本来の姿なのだから。 問一、…

三十一文字の詩

短歌投稿サイト「うたよみん」のおかげで、歌が身近になった。詠めば詠むほど三十一文字があふれ出てくる。当然、玉石混淆。それでも 7 月分詠草に数種類の連作が生まれ、どの 7 首を送ろうか迷ってしまうほどだ。かつて、一度にこれほど大量の歌を詠んだこ…

社会詠と自然詠、そして偽善詠

社会詠と自然詠―。そのイメージはわたしにとり、漢詩と和歌の延長線上にある。大陸に生まれた漢詩の伝統は古くから人の志を表したものであり、権力に対し民衆の声を上げる懇願でもあった。一方、島国の日本において和歌は人の心を表したものとして存在し、自…

アインシュタインの見た中国と日本

ノーベル賞物理学者アルベルト・アインシュタインの日記が出版され話題になっている。タイトルは "The Travel Diaries of Albert Einstein: The Far East, Palestine & Spain 1922 - 1923" 。ここにはアジア歴訪の際の印象が率直がつづられており、彼の目か…

道のはじまり

日本中世に誕生した「道」の理念は、日本の精神文化の屋台骨となる。歌合が遊びから勝負へと変わり、真剣な作歌姿勢が家の存続にまで影響を及ぼした背景は、同時代の欧州文学周辺から仰視すると、高度な文化社会だと称賛せずにはいられない。 道とは何か。わ…

月並み題詠

『紀貫之』は学びの多い良書である。西洋化の嵐が吹き荒れた明治維新直後の和歌革新運動を紹介する中で、大変興味深い旧派のスタイルを紹介している。 当時、宮中和歌を擁護した歌人たちは、文明開化がもたらした「開化新題」―国旗、演説会、時計、牛乳、祝…

本歌取り

表現論として本歌取り論をまとめたのは、藤原定家だという。『日本の文学論』に定家「詠歌大概」による本歌取りの考え方が紹介されている。 歌を詠む者は堪能の先人の秀歌を専ら手本とすべきで、取り入れる古歌の歌詞は、三代集(古今・後撰・拾遺和歌集)に…

本物の古典

紀貫之に関する一般書はきわめて少なく、著者は「子規以来のこと」となる歴史的事情に直面しながら筆を進めたという。この稀代の状況が健筆を支えるプラスの刺激になったと言い、『紀貫之』に重層的な魅力を加味する要因となった。 正岡子規に罵倒されて以後…

枕の文体―「など」の考察

枕草子の文体と敬語について『清水好子論文集〈第3巻〉王朝の文学』44 典型創造の意図―枕草子の文体・敬語論―から前半を閲読する。 前半で、著者は枕に頻出する「など」という接尾語に着目する。短編のひとこまを想起させる鮮やかな描写場面で「など」が頻り…

枕、源氏の言葉使い

枕草子は源氏物語にとり、素材の宝庫だった。『清水好子論文集〈第3巻〉王朝の文学』43の冒頭。著者は、源氏物語による枕草子からの素材利用に言及し、「対抗意識に燃える紫式部は清少納言が指摘しておいたものを、見事に物語の中に生かし切ったことを誇るの…

一条朝の火花

10 世紀末、平安一条朝は、中宮定子に仕えた清少納言と中宮彰子に仕えた紫式部が生きた時代。藤原家の権力闘争の渦中、一条天皇の二人の后にそれぞれ仕えた女房として、両者は健筆をふるうことでしたたかに火花を散らした。 彰子後宮における回顧録『紫式部…

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