あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

清少納言集の一首

背景を十分に理解してから鑑賞に臨む。清少納言集の一首を読み、この解釈学での基本に徹する味わい方をあらためて認識した。以下、コレクション日本歌人選『清少納言』より。 くら人下りて内わたりにて、文得ぬ人々に文取らすと聞きて、風のいたく吹く日、花…

春日遅遅―『枕草子』「三月ばかり、物忌しにとて」の段の贈答歌―

繊細な感性で本文を読み解き、鮮やかに謎を解明する。圷美奈子氏の論文「春日遅遅—『枕草子』「三月ばかり、物忌しにとて」の段の贈答歌」を読了し、鋭い洞察に圧倒された。氏の強みは和歌の読解、解釈力である。従来、研究の主眼が三巻本に置かれている中で…

「蛍」からの考察

飯島裕三氏の「蛍」の箇所における考察が非常に印象的だった。以下メモ。 夏は夜。月のころはさらなり、やみもなほ蛍飛びちがひたる。雨などの降るさへをかし。(能因本) 夏は、夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ…

『枕草子』の原態を求めて

素晴らしい論文ほどウェブ公開されているのではないかとの印象を持ちながら、飯島裕三氏の「『枕草子』の原態を求めて―三巻本枕草子と能因本枕草子の比較を通して―」(2009年)にも心が震えた。十年ほど前の研究論文だが非常に濃く深く広く対象をめぐりなが…

能因本と三巻本を比較する

『枕草子[能因本]』が届いた。ピカピカの本を目の前にしてワクワクしているが、実は何から始めていいのかわからずにもいる。とりあえず冒頭だけ比較してみたい。前が能因本、後が三巻本。 春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だ…

後拾遺集のころ

『後拾遺和歌集 (岩波文庫)』発売予告を目にし、さっそく予約を入れた。この時代の芸術的背景に注目しているからである。表紙より。 もの思へば沢のほたるもわが身よりあくがれ出づるたまかとぞ見る―—和泉式部・赤染衛門・紫式部を始めとする女性歌人の華麗…

象徴詩歌のルーツを探る 枕草子の存在

以下、寄稿としてまとめた。 「源氏見ざる歌詠みは、遺恨のことなり(「源氏物語」を読まない歌人は、とても残念に思われる)」。藤原定家の父で鎌倉初期に中世和歌の礎を築いた藤原俊成は一一九三年、六百番歌合(冬上十三番「枯野」判詞)にて、日本の精神…

枕草子の描写表現

風巻景次郎は『中世の文学伝統』において枕草子の描写における「絵画的特色の粋」に触れ、「日本の歴史の上で未だあらわれたことのないものであった」と指摘している。例として最初に挙げているのは、「木の花は」の 34 段。 五月ついたちなどの頃ほひ、橘の…

枕の文体―「など」の考察

枕草子の文体と敬語について『清水好子論文集〈第3巻〉王朝の文学』44 典型創造の意図―枕草子の文体・敬語論―から前半を閲読する。 前半で、著者は枕に頻出する「など」という接尾語に着目する。短編のひとこまを想起させる鮮やかな描写場面で「など」が頻り…

枕、源氏の言葉使い

枕草子は源氏物語にとり、素材の宝庫だった。『清水好子論文集〈第3巻〉王朝の文学』43の冒頭。著者は、源氏物語による枕草子からの素材利用に言及し、「対抗意識に燃える紫式部は清少納言が指摘しておいたものを、見事に物語の中に生かし切ったことを誇るの…

一条朝の火花

10 世紀末、平安一条朝は、中宮定子に仕えた清少納言と中宮彰子に仕えた紫式部が生きた時代。藤原家の権力闘争の渦中、一条天皇の二人の后にそれぞれ仕えた女房として、両者は健筆をふるうことでしたたかに火花を散らした。 彰子後宮における回顧録『紫式部…

和漢の后

なぜ、春は「桜」ではなく「曙」なのか。ずっと探していた『枕草子』にかかわる謎の答えが、人気の話題作『枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い』に記されていた。 中宮定子への敬愛と鎮魂を目的に書かれた『枕草子』は、その意図のとおり、…

ただの紙のいと白うきよげなるに

気持ちの整理をして背筋を伸ばすとき、清少納言のことばを想起する。「御前にて人々とも…」の段。世辞が腹立たしく心が晴れない、生きることに嫌気がさしどこかに行ってしまいたい、と彼女が落ち込んでいるときに。 ただの紙のいと白うきよげなるに、よき筆…

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