あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

和漢の后

 なぜ、春は「桜」ではなく「曙」なのか。ずっと探していた『枕草子』にかかわる謎の答えが、人気の話題作『枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い』に記されていた。

 中宮定子への敬愛と鎮魂を目的に書かれた『枕草子』は、その意図のとおり、定子後宮の華を象徴的に描いている。煌びやかな後宮文化を主導した中宮は、非凡な知性でも知られていた。和歌を愛すると同時に、当時男性の教養として社会に普及していた漢籍の知識も持ち合わせていたのである。つまり、まさに「和漢の后」と呼ぶにふさわしい、稀代の中宮だった。そして、この教養豊かな后をたたえるために、『枕草子』は『古今和歌集』と同じ四季の部立てに則りながら、漢籍で採用されている方法で「四季を彩る素材」を紹介したというのである。

 10 世紀末の平安朝は、中国六朝詩に倣った『古今和歌集』の文化的影響が浸透していたころ。季節の風物といえば、桜、時鳥、紅葉、雪などと、四季ごとに題材はほぼお決まりだった。だが、栄華と凋落を経験し無常を体現した中宮定子への万感を込めて、清少納言は常識を破るのである。第一段冒頭ではどの季節も、「日、月、空、雲、雪、霜」などの「天象」の景色が描かれる。中国で「類書」と呼ばれる百科事典はまず、天象の部から始まっているのだそうだ。

 これまで誰も思いつかなかった天象の景物を取り入れた『枕草子』は、さぞかし平安人を驚かせ、新鮮に映ったことだろう。同時に誉れ高い和漢双方の文化の形を冒頭に置くことで、人々の心に中宮定子の面影を深く刻み込んだに違いない。こうして冊子は新風を巻き起こし、千歳を超えて愛読されるに至るのだ。

 この粋な計らいを思いついた清少納言の冴えた発想に拍手を送らずにはいられない。彼女の教養の閃きと感性の煌めきは、幾星霜も永らえた。情景を描写する「描写型」表現は、『枕草子』から始まった。

枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い

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