あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

紫式部日記の政治性

 『紫式部日記』関連のレビューを読むと、最近の研究傾向が見えてくる。この日記はプロデューサー的存在だった藤原道長の影響が多大という仮説を最新の論考で目にした。清少納言をこき下ろした部分も、宿敵一族を貶める目的の一つだった、と。やはり彰子後宮の女房の一人、赤染衛門が執筆したといわれる『栄華物語』は藤原一族賞賛の物語。要するに両書とも道長の指令通りの執筆だったわけだ。

 となると、この時代の政治性を思わずにはいられない。たまたま千人万首にて彰子、道長の勅撰集入り歌数を目にしていたところだった。学問文芸に乏しいと言われていた彰子二十八首、その父道長四十三首入選。一方で、和漢の才能を後宮にていかんなく発揮した定子八首、漢籍に造詣の深かった一条院八首入選。彰子、道長は長命であり一概には断定できないけれど、それでも数字を比して明らかに政治的な「圧」のようなものが存在しただろうと憶測せずにはいられない。

 スピーチライターのいる現在の首長の様子を見ていると、歌が苦手だったトップにも当時、誰か側近が代わりに詠んでいたのでしょ? ここにも勝者の文学、敗者の文学あり。史実って何なの、と思わずにはいられない。

 でもここから、あまりにも賞賛されすぎている『源氏物語』の虚構が崩れ、『枕草子』の真実が浮き彫りになり始めるのではないかとの予感もする。虚構はいずれ暴かれる。

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