あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

雪月花

藤原定家「花月百首」に見えた雪月花を詠んだと思われる二首に関して。『万葉集 (四)』より大友家持の歌と『和漢朗詠集』より白居易の詩を引く。 大友家持 宴席詠雪月梅花歌一首 雪の上に照れる月夜に梅の花折りて贈らむ愛しき児もがも 雪の上に月が輝いてい…

季が二つ、ときには三つ

個人的に複数の季を含む和歌に興味をそそられる。一首のうちに、なにか、万華鏡のような異なる色の時空が動き始める感じ。変化に、それぞれの温度、匂い、濃淡が招喚され、鮮やかに浮かんでは消える気色に魅了されるといえばいいのか。瞬間を切り取る俳諧発…

移動の幸福感

「幸せの鍵は新しい場所!人の脳は「移動」を快楽と捉えていた」を読み、即、芭蕉を想起した。記事は身近な移動を取り上げているので旅とは少し異なるが、「移動」は確かに芭蕉が求めた快楽で、視野を広める特効薬だったろう。 幸福感を得るために新しいこと…

空と海と水平線

空と海と水平線…は好きな歌材で、季を問わず詠みたくなる。子どもの頃、よく青系の画材を取り出して、ただひたすら線を重ね引きし、空と海と水平線を描こうとした。視覚で濃淡を確かめる時間の心地よさ。やはりここにも心地よさが存在していた。 そんなこと…

シェークスピアのソネット

シェークスピアの十四行詩(ソネット)は、ロンドンがペストに襲われた時期(1609年)に出版された。 ソネットの発祥は、イタリア・ルネサンス期。従来ロマンス言語においてその音韻効果を発揮していたが、これが英語にはなじまないことからシェークスピアは…

微視と巨視

清少納言の『枕草子』は絵画的描写を用い、後宮の様子を活写している。なぜ、清女が絵画的視座を持ちえたのか。ひとつの試みとして、三代集における色彩、天象の扱いの他に、対象への距離感を調べる作業も加えたいと感じた。それは微視と巨視。『枕草子』に…

歌材と流れ

『花のもの言う』(280頁)に王朝和歌時代の歌材とその扱いについて興味深い指摘があった。隠すことが美徳のひとつでもあった当時、歌には「身体の部分、特に顔を構成する各器官をあからさまに歌わない」習慣があったと聞いても別に驚きはしない。隠すべきこ…

気になる花に菫がある。芭蕉と漱石の句で好きになり、赤人の歌でさらに、三十一文字にて詠まれる菫にも惹かれるようになった。 山路来て何やらゆかし菫草(松尾芭蕉) 菫ほどな小さき人に生まれたし(夏目漱石) 春の野にすみれ摘みにと来しわれそ野を懐かし…

橘は古典において多く貴く扱われている。 漢詩人である後中書王具平新王は次のように詠じた。 枝には金鈴を繋(か)けたり春の雨の後 花は紫麝(しじゃ)を薫ず凱風の程(和漢朗詠集・夏、橘花) 清少納言は、 花のなかよりこがねの玉かと見えて、いみじうあ…

和歌が伝える日本の美のかたち

六畳院さんが薦められていた『和歌が伝える 日本の美のかたち』を求めた。季節素材の扱い方を知りたかったのが一番の理由である。往時と現代では旧暦と新暦の存在から差異があり、人や書籍により言っていることがさまざまで曖昧になっていると感じていた。 …

良経の「枯野」詠草 

兄良通の急死から九条家の後嗣となり、妹任子の入内後、良経は歌人として才能を開花させていく。 最初の歌会主催は文治五年(一一八九年)、二十歳での雪十首歌会。これ以降、九条家を舞台に続々と歌会、歌合が開催され、新古今前夜的な時代に入ってゆく。 …

花月百首

藤原定家の拾遺愚草で花月百首*1を確かめた。歌人西行の追悼とは記されていないが、注釈欄には「建久元年(一一九〇年)九月十三日夜、九条良経の家で披講された」とある。作者は良経・慈円・定家・有家・寂蓮・丹後ら。同二十二日、百首から各自十首の撰歌…

飽きない

ツイッターのタイムラインに自らの飽きやすい性格を嘆いているツイートが流れていた。 飽きる。 飽きない。 そういえば歌は飽きないなあ、とあらためて感じ入る。その理由とは。しばらく考え、回答は定型にあると思えてきた。 つい先日、57577の定型で「心が…

What(何を)&How(如何に)

昨年、結社の歌会に何度か参加させていただき最初に気づいたことは、詠歌における「What(何を)」 と「How(如何に)」の差異だった。 自分の場合、歌はいつも「How(如何に詠むか)」に焦点を定めて詠んでいる。というより、意図せずとも自然とそうなって…

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