あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

歌材と流れ

 『花のもの言う』(280頁)に王朝和歌時代の歌材とその扱いについて興味深い指摘があった。隠すことが美徳のひとつでもあった当時、歌には「身体の部分、特に顔を構成する各器官をあからさまに歌わない」習慣があったと聞いても別に驚きはしない。隠すべきことを詠むとすれば、それは滑稽を帯びた和歌、誹諧歌として扱われた。

 ここで和泉式部の歌が紹介された。この一首、『新古今』と『続和泉和歌集』『続詞花集』では一字が異なるという。

 『新古今』では

寝覚めする身を吹きとほす風の音をむかしはのよそに聞きけむ

 ところが、『和泉式部続集』『続詞花集』では

寝覚めする身を吹きとほす風の音をむかしはのよそに聞きけむ

と記されている。現代語訳は「寝覚めするこの身を吹き通す寂しい風の音を、あの方と一緒だった昔はわたしの袖/耳とはかかわりのないものとして聞いていたのであろう(新古今・哀傷歌上七八三)」。

 「袖」と「耳」では字形がかなり異なり誤写の可能性は低いと著者。そして、「耳」とあったのが和泉式部の原作であり、「袖」は『新古今』の撰者によって改められたのではないか、と推測している。なるほど、と感心せずにはいられない。

 『和泉式部続集』において、これは九首からなる「夜なかの寝覚め」の連作中の一首で、前後には

ものをのみ思ひ寝覚めのとこのうへにわが手枕ぞありてかひなき

寝覚めする身を吹きとほす風の音をむかしはのよそに聞きけむ

いをし寝ば夜のまもものは思はましうちはへさむるこそつらけれ

 が配置されている。「手枕」「目」とともに「耳」と詠まれた一連の「表現はいかにもリアル」。しかしながら「その一首だけを引き抜いて撰集に入れる時、撰者はひっかかるものを感じたのではないか」と解説にあった。

 「袖」と推敲した撰者の感性にまず感嘆する。風雅に、流れを崩すことなく、全体に調和させている。和泉式部が生きていたら、これをどう感じたろうか。

 現代はお好み次第、どのようなことも三十一音に含められる。リアルにもなるし、夢のようにもなる。だからこそ精選だろう。しばらく忘れていた気持ちを呼び覚ました。

花のもの言う――四季のうた

新古今和歌集〈上〉

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