あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

賀茂保憲女集のひと

『賀茂保憲女集』—。一首目から王朝和歌の諷詠とは異なるというのが第一印象。形式は和歌なのだけれど、感覚が何か現代に通じるような系譜に沿っている。十世紀後半に生きた歌人と千年後の今をつなぐ属性は何なのか。 解説頁を捲り、解を得る。稀代の家集は…

女房たちの人間模様

『 賀茂保憲女集・赤染衛門集・清少納言集・紫式部集・藤三位集 (和歌文学大系)』月報に藤本宗利・群馬大学助教授の面白い記事を見つけた。例の『紫式部日記』で紫式部が和泉式部・赤染衛門・清少納言の名を挙げ、その人となりを論ずる箇所からの考察であ…

十題百首

十題百首には、良経、慈円、定家、寂蓮が参加。二十八首残る寂蓮以外、三人は百首を各家集に収める。十題は、天象、地儀、居処、草部、木部、鳥部、獣部、虫部、神祇、釈教で各十首。 良経歌と定家歌の比較を楽しんだ。 良経歌に関しては、一一九〇年に入内…

二夜百首

花月百首*1の次は、二夜百首である。これもとても興味深い。参加者は慈円、藤原定家、良経の三人。『秋篠月清集/明恵上人歌集』補注(314頁)に、ことの成り行きが記されている。 慈円『拾玉集』第二「当座百首」の跋文によれば、良経は建久元年(一一九〇年…

歌材と流れ

『花のもの言う』(280頁)に王朝和歌時代の歌材とその扱いについて興味深い指摘があった。隠すことが美徳のひとつでもあった当時、歌には「身体の部分、特に顔を構成する各器官をあからさまに歌わない」習慣があったと聞いても別に驚きはしない。隠すべきこ…

両極の一方

対照的な存在が好きで、歌でもよく詠んでいる。両極を眺め、相違点を味わう過程が心地よい。歌における自らの探究を考えるときも同様である。一方は古歌、もう一方は現代に向かった歌であり、両極を見る。 美の観点から、古歌における追及は焦点が定まったと…

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