あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

賀茂保憲女集のひと

 『賀茂保憲女集』—。一首目から王朝和歌の諷詠とは異なるというのが第一印象。形式は和歌なのだけれど、感覚が何か現代に通じるような系譜に沿っている。十世紀後半に生きた歌人と千年後の今をつなぐ属性は何なのか。

 解説頁を捲り、解を得る。稀代の家集は罹患した疱瘡(もがさ、一説には天然痘)から蘇った個人的な体験を通して編まれたことを知った。「生命の危機に瀕しながらも奇跡的に命を取り止めたことがこの集を作る直接の契機となっている」(武田早苗著)という。だから草木、かもめ、千鳥、鶴、駒、蛙…と自然のいのちを採りあげた歌が多く収録されている。華麗な王朝美よりも、自然を見つめる心が輝いている。

 冒頭に長々と綴られている散文が他の家集と大きく異なる。身上を物語っているのだが、とても悲観的でこちらが沈みそうだ。敷島の世の中、自分ほど悲しい人間はいないと言い切っており、続けざまに鳥虫、草木にも劣り人に並ぶことはないと卑下している。病臥からの苦痛がせつせつと伝わってくる。

 この散文から詞書へとそのまま続く一首目にとにかく心惹かれた。

疱瘡(もがさ)の盛りに目をさへ病みければ、枕上に面白き紅葉を人の置いたりければ、思ひ余りて

くもりつゝ涙しぐるゝ我が目にも猶もみぢ葉はあかく見えけり

  素敵な心遣いを見つけ思わず感極まった涙目にも紅葉は赤く映える。病と涙で充血した目と紅葉の色がうるうると重なり温もりが一首全体を包み込む。こみ上げる熱いうれしさがこちらにも伝わってきた。この紅葉一葉をそっと置いてくれた人はどのような人なのか。そういうあはひの想像も広がった。

 彼女の父親は高名な陰陽学者で男兄弟三人も暦博士、天文博士として任を得ていたが、彼女は出仕もせず家でひっそりと暮らした。叔父に『池亭紀』を記した慶滋保胤がおり、少なからず影響を受けているだろうと推測される。学者の家に育った環境から漢籍や暦に対する知識は並々ではなく、『古今和歌集』『後撰和歌集』『古今和歌六帖』も読み込んで咀嚼し自歌に反映させたことから「引用の歌織物」などと著名人らに評された。ただ、歌壇とは全く交わりがなかった。歌集を読み、ただひたすらいのちを見つめて歌を詠み慰めとしたのだろう。ここに流れた時間から独自の歌風が生まれたことは確かである。集の後半には長歌も収められている。

 勅撰集には五首が入選しており、初入選は『拾遺集』で読み人知らずの表記であった。二首目は『新古今和歌集』でやはり読み人知らず。この時の憶測される背景が面白い。

 武田氏によると冷泉家時雨亭文庫蔵『賀茂女集』表紙には藤原定家の筆で「一首無可取哥(一首も取るべき歌が無い)」との書きつけがあったという。にもかからわず『新古今和歌集』には「読み人知らず」として一首採歌。入選歌の撰者注記に藤原雅経とあることから武田氏は「定家が一首も取るべき歌がないと喝破した歌人の集から、いくら一首とはいえ、彼女の名を明記して撰入するわけにはいかない。そこで、雅経は読み人知らずとして採歌したのではなかったか」と推測する。定家がいかに権威となっていたかがうかがえる。

 「さらに名前が明示された最初の勅撰集が京極派の『風雅和歌集』であることも示唆的」という。それはそうかもしれない。この自然観照の姿勢は時代の先取りだったのだ。その後、二十一代集の最後の勅撰集、二条派が編纂した『新続古今集』にも名前明示で一首入った。

 彼女の感性は、定家の感性とは異なった。しかしながら、定家でさえ世間から理解されない「達磨歌」を詠んでいたのではなかったか。それを大々的に支持したのが後鳥羽院だった。つまり支持者がいて初めて時代に認められる構造は今も昔も変わらない。

 武田氏は『賀茂保憲女集』内部に見える「自閉性、閉塞性は否むべくもないが、一方で彼女の視野の広さは当時にあって、かなり革新的なもの」と評する。「特に序文には彼女の世界観があますところなく語られ、(中略)自然界に向けたまなざしや彼女の思想の根底にある平等感は、現代にも通じる不変性を提示している」とする。千年読み継がれてきた事実が、確かに「不変」あるいは「普遍」を物語っていると感じた。

 自然を見つめる目がとても新鮮に感じられる。これからも繰り返し鑑賞したい歌人となった。

 以下、勅撰集にとられた歌五首。彼女らしさはあまり出ておらず、勅撰集全体に馴染むように撰歌されている。

拾遺集・夏 一一〇(読み人知らず)

今日見れば玉の台もなかりけり菖蒲の草の庵のみして

「今日見れば立派な御殿はなくなってしまい粗末な家だけが残っています(端午の節句のために、どの家でも軒に菖蒲を挿した様を詠じたもの)」

新古今集・雑下 一七四四(読み人知らず)

そむけども天の下をし離れねばいづこにもよる涙成けり

「世を背いても天(雨)の下を離れなかったならば、どこにでも涙雨は降るものです」

風雅集・秋歌中 五四九

秋の夜の寝覚めのほどを雁がねのそらにしればや鳴きわたるらん

「秋の夜の寝覚めの様子を雁がねの行く空に知られているので鳴き渡るのでしょうか」

恋一 一〇三一

思はじと心をもどく心しもまどひまさりて恋しかるらん

「もう思わないと心に逆らって咎める心だけにさらに戸惑い恋しいのです」

 新続古今集・恋三 一二四九

かくばかり人のかたむる逢坂をいかで心の行きかへるらん

「このように人々が約束をする逢坂でどのように心は行ったり来たりするのでしょう」

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