あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

新しい和歌の読解「蒲生野贈答歌」

 かつて古文解釈において「何か引っかかるけれど、千年前のできごとを伝えるのだから少しぐらい意味のしっくりこない表現であってもこういうものなのだろう…」と感じる文章は多かった。違和感を抱きながらも古典ゆえに仕方がないのだと納得させ収束させてしまう感覚がどこかにあった。このような違和感を抱かせる解釈に異議を唱え新しい読解を試みているのが、『枕草子』能因本研究で名をはせる圷美奈子氏である。和歌を基軸に古典解釈を刷新されており、歌を詠むものとしてその研究内容に心惹かれる。

 氏の「《見立て》の構造―和歌読解の新しい試みとして―」と題する論文から、和歌読解を紹介したい。

 蒲生野贈答歌

 天皇の、蒲生野に遊猟したまひし時に、額田王の作れる歌

あかねさすむらさき野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(一・二〇)

 皇太子の答へませる歌

紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋めやも(一・二一)

  額田王と大海人皇子による贈答歌は、天智天皇(兄)、大海人皇子(弟)と額田王の三角関係が背景にある。大海人皇子が、兄である天智天皇の后になった昔の妻、額田王に手を振るなんて。初めて読んだときは、「あかねさすむらさき…」のイメージから広がる恋歌に魅了されたものだ。しかし、のちのち解説によると、宴の座興として応答が交わされた和歌一対だったと知り、ときめきは一瞬で色褪せてしまった。そのような笑いを醸すような場でのやりとりだったのだろうか。そんな疑問もかすかに抱きつつ。

 そして圷論文と出会う。やはり、ここには大きな読み落としがあった。「袖振る」「端午節」「皇太子」をキーワードとして圷氏が読み解くと…。

 天皇遊 獦蒲生野 時額田王作歌

茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布

 皇太子答御歌 明日香宮御宇天皇 謚曰天武天皇 

紫草能 尓保敞類妹者 人嬬故尓 吾戀目八方

 紀曰 天皇七年丁卯夏五月五日縦 獦於蒲生野 干時大皇弟諸王内臣及群臣皆悉従焉

  時は天智天皇即位年の五月五日、端午の節句。「《世継ぎのための賜宴》と定義される端午節は、…古代、皇太子が世継ぎたる人の資質と威風を示して一世一代の舞を奉献することが行われた」という。「袖振る」とは単に手を振ったり合図をしたりするのではなく、「袖を振って舞う」舞いのこと。つまり、次期天皇として資質の認められた大海人皇子が、兄の天智天皇並びにその妻となった額田王を讃える気持ちを込めて舞った背景がここにはあるという。

 そのしぐさ「袖振る」を額田王が愛情表現と見立てて歌を詠み、恋心をあおるような返歌を求め、大海人皇子は紫草になぞり兄天智天皇の妻となり生きる額田王を讃えて返した、というのだ。立場は弟、皇太子として、天皇の「人妻」なのだから恋せずにいられようか、恋しているよ、と天智の御代を讃える返歌とした。

 この贈答歌でこれまで読み取られてこなかった二点は以下と氏はまとめた。

1.表現すべきこと=節会の主人公である大海人皇子による、天智朝の賛美。

2.表現手法=

[額田王作歌]奉献の舞のしぐさを、もとの妻である自分(額田王)への愛情表現として見立てる。

[大海人皇子返歌]今は兄帝近侍となった額田王を、その地位を得たゆえに讃える。

 キーワードの理解、読み解きから和歌を見直すと、筋の通った意味がすっきりと現れる。鮮やかな読解と解釈にとにかく見とれてしまった。

 今、確かに古典解釈について見直しの時期が来ているのだろうと確信した一例だった。

©akehonomurasaki