あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

2018-01-01から1年間の記事一覧

礼記

清少納言の視覚絵画的表現を追究する学びのほかに、もうひとつ探究したいテーマがある。春秋論争である。いつ、どこで、どのように始まったのか。日本では「中国から伝わった」と説明が付くけれど、どこにもその起源を探せないでいる。そこで読んでみたかっ…

日本的象徴を追う

所属結社の精神を振り返りながら、自らの方向性を確かめてみる。 潮音の創設者である太田水穂は古典和歌に親しんだ後、芭蕉俳諧の象徴から学び、蕉風を短歌にうつそうとして三十一音における「日本的象徴」を提唱した。 その芭蕉は、唐詩と古典藝術の影響を…

清少納言集

『清少納言集』は異本と流布本があり、本人以外の歌も含む。清少納言の死後、親しい人により編まれたという。今回手にしたものは全 42 首を収録。うち、数えてみたところ恋歌が 24 首 で、それ以外は、人間関係、身上を嘆く歌など、全体的に袖の濡れるウェッ…

枕草子から

歌は最期まで詠み続けるわけだが、その間の究極の目的は、清少納言曰く「書(ふみ)は文集。文選。新賦。史記。五帝本紀。願文。表。博士の申文。」(枕草子)に従い、文集、文選…を学びたい。清少納言を読み解くには、ここから読まなければ…と思ったことが…

大和言葉と唐言葉、今様言葉

入社したころの話、ふたたび。指導者は万葉仮名に詳しく、唐言葉が好き。一首のなかで一語、あるいは二語、有効な漢語を使用することを薦めていた。確かに、三十一音において、漢語の使用はメリハリを生む。印象が濃くなり、イメージがきりりと引き締まるの…

旅の友

『大手拓次詩集』…日々、音読の友。好きな詩を毎晩、何度も読んでしまう。「色」を駆使した色彩イメージが好き。「香り」も、想像を掻き立てられる。そこには、やさしくかなしい孤独がある。不可能なことだが、お会いしてみたい方だ。どのような話し方をされ…

駄作

今井杏太郎の言う「駄作も必要」の意味が、異なる角度から見えてきた。「つぶやけば短歌」を実践する凡人である以上、駄作ばかりである。以前数えてみたら納得できる歌は1割ほどだった。しかも自分の場合、花鳥詠しか興味がないので、毎日、自然ばかりを詠…

拓次の文語詩・口語詩

『大手拓次詩集』は、散文詩を含めたほとんどが口語詩なのだが、終盤に少し文語詩が載る。口語詩を読み終えた後に文語詩を読むと、また味わいが異なる。染み入ってくる。感覚として自分には、文語詩のほうが鋭く深く、染み入ってくる。たぶん、文語の語感を…

わからなさについて

写生vs象徴。ずっと言われ続けていることについて振り返ってみる。別の視点として、口語vs文語も絡める。 象徴短歌は、わかりにくい――。他社の方に出会うとよく言われることだ。ここではどうしても、結社内外での享受者層の差が表れる。個人的に、写生派…

続大手拓次

置かれている状況からか、言語はとにかく声に出して読みたくなる。大手拓次の詩は、格好の対象だ。象徴としてのメタファーが鮮やかであり、吸い込まれるように魅了される。かつて夢中になった立原道造や津村信夫とはまったく異なる魅力、というより魔力。そ…

詩人大手拓次

SNS時代、最高の出会いとして挙げた今井杏太郎「魚座」俳門に、新しく詩人大手拓次を加えたい。フランス象徴詩を学ぶ上で追いかけたいと感じていた詩人はランボー、そしてその翻訳で知られる西条八十だった。だが、大手拓次とボードレールに出会い、彼ら…

真善美ふたたび

千首詠におけるさまざまな試みは、貴重な学びである。そのひとつに歌における虚構性がある。一例として入社したころの体験を記す。 象徴を提唱する結社であるからだろう。印象深い語彙の選択は三十一音の短文においてある意味、必須となる。指導者もその要所…

連作

連作とは、「一人の作者が特定の題材に基づいて複数の作品を作り、全体としてもある程度まとまった作品とすること」(ウィキ)。 自分の短歌連作に対する考え方が結社内のそれとまったく異なることもあり、母から説教されそうになったことがある。わたしの 2…

雅俗

「俗」を「無限の可能性を秘めるもの」と定義して、ここでは雅俗を「伝統に対して新しくなおかつ雅を有するもの」としたい。そう実感している対象は、英国人の現代作曲家 John Rutter の教会音楽である。モーツアルトなども美しい教会音楽を創作しているが、…

上下周囲

ふと思ったこと。求めるものは、高さ、深さ、広さの三つ。 上へ向かって高みを極める。独学による自分らしさの追究。 下へ向かって深さを掘り下げる。古典学習による知識の追究。 周囲に向かって広げる。現代から学ぶ社会の中での今の追究。 現在、2に夢中…

枕詞

高校古文の参考書『古文研究法』に、枕詞の解説の後、次のようにあった。 …どうせ意味に関係ないのだから、わざわざ使わなくてもよいような感じがするかもしれないけれど、枕詞をうまく使うと、理屈ぬきに美しい「しらべ」が生まれる。 「理屈ぬきの美しいし…

真名と仮名

男の子だからと弟は真名、女の子だからとわたしと妹は仮名、にて命名された。歌の歴史を紐解けば、この命名は、男性のたしなむ漢籍に対して女性の遊ぶくずし字という発想の下にあったことが分かるわけで、昨今のジェンダー論争でやり玉にあげられそうなテー…

比喩

結社に入社したての頃。歌会で比喩について「直喩は避けよ、隠喩を用いよ」と徹底された。この指導者のひとつの方針だったが、これが今も体に染みついてしまい、「~やうな、やうに」「~のごと、ごとく」などわたしは直喩が使えない。 作歌するときに言葉を…

象徴詩歌のルーツを探る 枕草子の存在

以下、寄稿としてまとめた。 「源氏見ざる歌詠みは、遺恨のことなり(「源氏物語」を読まない歌人は、とても残念に思われる)」。藤原定家の父で鎌倉初期に中世和歌の礎を築いた藤原俊成は一一九三年、六百番歌合(冬上十三番「枯野」判詞)にて、日本の精神…

歌物語

物語に歌が挿入してあるだけで、ストーリーに濃淡が表れ、ぐっと深さが生まれると感じる。『西行花伝』には折々に三十一字が置かれており、歌の持つ力がたたえられている。 心酔したのは十三帖。吉野から綴った桜についての西行の書簡の箇所である。美しい文…

日本語が痩せていくとは

言葉は、時代の移り変わりとともに変遷する。古語が失われて新語が登場することは歴史の繰り返しだろう。ただ、情報革命というパラダイムシフトに置かれた現代は、かつてないほどの大きな変遷を体験していると思う。今が過去と決定的に異なるのは、やはり情…

心と詞

藤原定家らが行った自然の持つ複雑微妙な実相をとらえる詠について振り返る。 「そのような内容は、いわゆる『心』として独自に存在できるものでなく、かならず『詞』に即して存在するわけだから、二元的に考えることができない。『詞』を離れた『心』は無い…

俳句べからず集

『俳句』は、俳句「べからず集」。形容詞・副詞を取り除き、名詞と動詞で詠む句を良しとする。秀句として飯田蛇笏の「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」を挙げる。 観念的なこちら側の言葉(抽象名詞、抽象動詞)ではなく、具体的なあちら側の言葉(具象名詞、…

上の句

ときどき、上の句が俳句として成り立っているのではないかと思われる歌を詠んでいる。575 ですでに完結しているので、77 を創造しにくい。不要っぽい下の句が付くので、歌として駄作に入るのだろうな、と。これまでの作品から並べ、鑑賞してみたい。いつか星…

utakataなどその3

うたかたにて 247 首。それ以前のうたよみん 165 首を加えるとウェブ上の約3か月で計 412 首。両サイト間にて推敲し投稿しなおした歌を差し引いて約 400 首。千首詠まであと 600 首。古の歌人たちはどのような気持ちで多詠をしていたのだろう。「呟けば短歌…

特に動詞

同じ定型短詩として俳句から学ぶことは多い。現代俳句協会のサイトにて読んだ「切れ、動詞、オノマトペ」の考察が興味深かった。 切れ。上から下へと流れる叙情が歌の命でもあるので、自分はなるべく持たせないように心がけている。連作の際、例外はもちろん…

現代の平淡美

最初に購入した個人歌集は…という問いに対する答えは、西行か。 現代ものには全く興味が湧かなかった。心に響かない。果たしてこれが千年後まで残る言葉なのか、などと余計なことが頭を過る。好みの歌が数点あったとしても、総体として自分の感性に合わない…

SNSの時代

SNSアレルギーの自分が、SNSのおかげで前に進む、という皮肉。晒す行為を嫌悪する一方で、晒す行為のおかげで出会いがある。この時代の潮流に乗る。 日本美(あるいは真善美)の追究、古典の呼吸の日常化、一人称文学としての短歌の在り方とそれによる…

パンドラの箱

口語短歌と情報革命(SNS)の同時発生が、三十一文字の今後を決定する分岐点になっている。いまだかつて歴史上で経験のなかった歌の変革期であり、未来の短歌の姿が決定される起因となる。 定型と不定型:定型に収まらない歌が多い。気持ちや内容を優先さ…

歌集

一般的に理解されている形態の歌集について、日ごろ思うこと。個人的に、興味はない。思い出として残すのであれば、家族向けへの家集として編集し、家族以外には渡らないものとする。歌集とは本来、家集であったはず。 紫式部集が 126 首、藤原俊成の長秋詠…

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