あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

続大手拓次

 置かれている状況からか、言語はとにかく声に出して読みたくなる。大手拓次の詩は、格好の対象だ。象徴としてのメタファーが鮮やかであり、吸い込まれるように魅了される。かつて夢中になった立原道造や津村信夫とはまったく異なる魅力、というより魔力。その人となりも、興味を抱かない人など、いないのではないか。

 音読は特に、散文詩がいい。物語のように長くなる分、濃い表現よりもなだらかな表現が多く、読み手としてイメージをつかみやすい。それが、とても心地よい。

 散文詩「噴水の上に眠るものの声」には、拓次の言葉に対する拘りが5ページにわたりさまざまな角度から語られている。ここを読むだけでも、あれだけの技巧的象徴を駆使する背景を垣間見た気がする。自分は歌に「色」を詠むことが多く、拓次にも「色」を使った詩が多い。この散文詩には「色」についての記述もある。対を意識していることも良くわかる。

 ひとつの言葉にひとつの言葉をつなぐことは花であり、笑ひであり、みとのまぐはひである。白い言葉と黒い言葉とをつなぎ、黄色い言葉と黒い言葉とをつなぎ、青の言葉と赤の言葉とを、みどりの言葉と黒い言葉とを、空色の言葉と淡紅色の言葉とをつなぎ、或いは朝の言葉と夜の言葉とをつなぎ、昼の言葉と夕の言葉とをむすび、春の言葉と夏の言葉とを、善と悪との言葉を、美と醜との言葉を、天と地との言葉を、南と北との言葉を、神と悪魔との言葉を、河見の言葉と不河見の言葉とを、近き言葉と遠き言葉とを、表と裏との言葉を、水と山との言葉を、指と胸との言葉を、手と足との言葉を、夢と空との言葉を、火と岩との言葉を、驚きと竦みとの言葉を、動と不動の言葉を、崩潰と建設の言葉を……つなぎ合せ、結びあはせて、その色彩と音調と感触とあらゆる昏迷のなかに手探りするいんいんたる微妙の世界の開花。

 最後の、「いんいんたる微妙の世界の開花」とは、まさしく象徴を象徴する表現ではないか。一文目には言葉をつなぐ意味を説き、本質的なことを真面目に語る拓次の精神を見た。「みとのまぐはひ」と掲げるところが他の詩人と異なる、と思ったりもする。

 しばらく日々の愉楽とする。

©akehonomurasaki