あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

わからなさについて

 写生vs象徴。ずっと言われ続けていることについて振り返ってみる。別の視点として、口語vs文語も絡める。

 象徴短歌は、わかりにくい――。他社の方に出会うとよく言われることだ。ここではどうしても、結社内外での享受者層の差が表れる。個人的に、写生派は平淡美をよしとする二条派、象徴派は深遠さを追究した京極派という印象を抱く。どちらも大切な姿勢なのだが、自分にとり詩歌の最終形が象徴であることは揺るがない。素直に目の前を事象を詠む写生と、表層には見えない心象を詠む象徴。たしかに象徴は、一読ではわかりにくい。

 口語短歌が一世を風靡し始めたころ、祖母は「これは短歌ではない」と言い切り、最期まで認めなかった。歌会の指導者は新聞など投稿短歌をまったく評価しておらず「初心者のレベル」と常に言っていた。それがいまや、うちの結社の年配層に素人的と印象を与えたであろう口語調の歌風が人口に膾炙し、世間での歌の評価の上下関係は逆転している。古風な文語、歴史的仮名遣いの歌は難解で陳腐以外の何ものでもないとして見向きもされなくなった。つまり、「わかりやすさ」が一般的に求められており、表層の歌が歓迎される。(もちろん口語短歌にもわかりにくい歌はある。このあたりは現代アートの立ち位置に似ているだろう。)

 で、自分の歌は、若干言い回しは現代語に合わせてはいるものの、文語、旧仮名で象徴的深層を目指す、つまり、世の潮流に抗っている風体。そうする理由は、これが詠む以前から触れてきた姿であり、ゆえにもっとも心地良く、自分にとり自然体だと思うからである。また結社も百周年を機に新仮名を受け入れるまでずっと旧仮名を奨励していた。古の詞は時間を抱いているだけに濃く深く美しい。

    でも、ときどき、心が折れそうになる。美しいだけで良いのか、と。歌を継いでゆく真の雅は美しさのみでなく強さも備えているはずなのだ。

 閑話休題。

 写生か象徴か、口語・新仮名か文語・旧仮名か。わかりやすいかわかりにくいか。結論を先に記すと、どのような歌風でも、わかってもわからなくても、そこに時代を超える雅があるか否か、この視点を見抜く審美眼があるか否か…ということだろう。すべては時間が評価する。百歳ののち、千歳ののちに。

 そこで歴史を振り返ると、時代を超える雅は常に「うつす」ことを繰り返して永らえてきた。一点に留まらず、「うつす」という工夫から新しみを生み出したのである。この、新しみを創出した源が常に「うつす」という試み、あるいは俗、であり、ここから雅が生まれた「雅俗」の意味するところは大きい。これこそ芭蕉の説いた不易流行であり、新しみを有する雅をどう創出するか…これが日々の試行錯誤であり、苦悩となる。

 現代の新しみとは、何だろう。テクノロジー、グローバリゼーション、多様化、地球温暖化など…。そしてこの新しみには新しいがゆえにどうしても「わからなさ」がつきまとう。それが最先端の時代が生むわからなさであれば、これは次世代の雅に通じる可能性も持ちうると最近、信じ始めた。定家の歌が「達磨歌」と揶揄されたように、わからないかもしれないが先駆となるわからなさはある側面において魅力を伴うのだから。

 いずれにしても、どうなろうとも最後は人間であるので、人としての自分がいかなる人間であるか、すべてはここに帰結する。人としてどう生きるかが歌に反映されるからこそ、日々が問われる。写生、象徴、そのような経緯は人間としてのひとつの選択に過ぎない。

 わからなくても、わかりたいと思わせる歌、つまり、学べる歌は他者を振り返っている。ここに人間性が表れる。わかりたいと思わせる歌は、作者を知りたいという気持ちと同様であり、そう思わせる理由は、人となりを投影する魅力的な歌だからこそだろう。わからなさが自己中心的である歌は、他者を顧みず独りよがりだ。たぶん、知りたいとも思わない。近江商人の三方よしにかなう歌がいいのではないかと思う。Give and Take で相互に学べる歌がコミュニティをも豊かにする。なんとなくそのようなイメージを抱く。 

 取り留めもなく書いてしまった。

©akehonomurasaki