あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

清少納言集の一首

背景を十分に理解してから鑑賞に臨む。清少納言集の一首を読み、この解釈学での基本に徹する味わい方をあらためて認識した。以下、コレクション日本歌人選『清少納言』より。 くら人下りて内わたりにて、文得ぬ人々に文取らすと聞きて、風のいたく吹く日、花…

新しい和歌の読解「蒲生野贈答歌」

かつて古文解釈において「何か引っかかるけれど、千年前のできごとを伝えるのだから少しぐらい意味のしっくりこない表現であってもこういうものなのだろう…」と感じる文章は多かった。違和感を抱きながらも古典ゆえに仕方がないのだと納得させ収束させてしま…

紫式部日記の政治性

『紫式部日記』関連のレビューを読むと、最近の研究傾向が見えてくる。この日記はプロデューサー的存在だった藤原道長の影響が多大という仮説を最新の論考で目にした。清少納言をこき下ろした部分も、宿敵一族を貶める目的の一つだった、と。やはり彰子後宮…

百首詠

藤原良経、藤原定家の歌集はいずれも百首詠で始まっている。この「百」には意味があるのだろうか。抱いていた疑問に的確に答えてくださる論文に出会うとはまさか思ってもいなかったが、出会えたのである。渡邉裕美子氏の「〈毎月百首を詠む〉ということ―『毎…

春日遅遅―『枕草子』「三月ばかり、物忌しにとて」の段の贈答歌―

繊細な感性で本文を読み解き、鮮やかに謎を解明する。圷美奈子氏の論文「春日遅遅—『枕草子』「三月ばかり、物忌しにとて」の段の贈答歌」を読了し、鋭い洞察に圧倒された。氏の強みは和歌の読解、解釈力である。従来、研究の主眼が三巻本に置かれている中で…

敗者の文学

ここまで論文読書を重ねて見えてきた事実は、『源氏物語』は勝者の文学であり、『枕草子』は敗者の文学という視座である。藤原四兄弟で、定子の父である長男道隆(中関白家)が病没し、彰子の父である末弟道長(御堂関白家)が権力を手中に収めた政治的背景…

後撰集における「露」

定子の辞世歌を意識しながら、後撰集における「露」の歌を拾う。恋歌で知られる後撰集は九十四首。 定子の辞世歌の一首 煙とも雲ともならぬ身なりとも草葉の露をそれとながめよ つねもなき夏の草葉にをく露を命とたのむ蝉のはかなさ 一九三 今夜かくなかむる…

古今集における「露」

定子の辞世歌を意識しながら、古今集における「露」の歌を拾う。古今集では長歌一首を含め計四十七首。 定子の辞世歌の一首 煙とも雲ともならぬ身なりとも草葉の露をそれとながめよ あさ緑いとよりかけて白露を玉にもぬける春の柳か 二七 はちす葉のにごりに…

賀茂保憲女集のひと

『賀茂保憲女集』—。一首目から王朝和歌の諷詠とは異なるというのが第一印象。形式は和歌なのだけれど、感覚が何か現代に通じるような系譜に沿っている。十世紀後半に生きた歌人と千年後の今をつなぐ属性は何なのか。 解説頁を捲り、解を得る。稀代の家集は…

「蛍」からの考察

飯島裕三氏の「蛍」の箇所における考察が非常に印象的だった。以下メモ。 夏は夜。月のころはさらなり、やみもなほ蛍飛びちがひたる。雨などの降るさへをかし。(能因本) 夏は、夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ…

『枕草子』の原態を求めて

素晴らしい論文ほどウェブ公開されているのではないかとの印象を持ちながら、飯島裕三氏の「『枕草子』の原態を求めて―三巻本枕草子と能因本枕草子の比較を通して―」(2009年)にも心が震えた。十年ほど前の研究論文だが非常に濃く深く広く対象をめぐりなが…

能因本と三巻本を比較する

『枕草子[能因本]』が届いた。ピカピカの本を目の前にしてワクワクしているが、実は何から始めていいのかわからずにもいる。とりあえず冒頭だけ比較してみたい。前が能因本、後が三巻本。 春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だ…

女房たちの人間模様

『 賀茂保憲女集・赤染衛門集・清少納言集・紫式部集・藤三位集 (和歌文学大系)』月報に藤本宗利・群馬大学助教授の面白い記事を見つけた。例の『紫式部日記』で紫式部が和泉式部・赤染衛門・清少納言の名を挙げ、その人となりを論ずる箇所からの考察であ…

写本と校註

藤原定家の日本文学における功績は計り知れない。だが、その功績のおかげで、真実が後世に伝わらない現象が生じてしまう。それは平安朝文学で起きている。 例えば定家校註の『源氏物語』において言葉の使用などを問題にする場合、定家写本と言われている三巻…

夏と冬

ツイッターに「雪月花には夏がない。花鳥風月には冬がない」との文を見つけた。なるほど、本当にそう。雪月花の出典は白氏文集だが、花鳥風月は何なのだろう。一説に世阿弥の能楽論よりと耳にしたが、世界大百科事典第2版にも以下があった。 風姿花伝(一四…

能因本の謎

『源氏物語』誕生後、その研究がこれほど盛んになる理由の根本には中世歌壇に認められたことがある。藤原俊成の言明「源氏見ざる歌読みは、遺恨の事なり」(『六百番歌合』冬上十三番「枯野」判詞)が後世に与えた影響はあまりにも大きかった。 『源氏物語』…

三巻本と能因本

『枕草子』の全貌を追う中でどの底本を用いるか的確な提案をいただいた。深謝。 現在多くの『枕草子』は三巻本を底本とする。藤原定家が書写したと憶測されているもので、その分、校訂がしっかりなされているらしい。能因本を底本とした北村季吟の『春曙抄』…

日本酒の和歌的温度表現

日本酒の温度表現が和歌的で素敵だったので、以下メモ。 冷たい日本酒 (cold) 雪冷え 5度C/41度F (snow-cold) 花冷え 10度C/50度F (spring-weather-cold when Sakura flower is blooming) 涼冷え 15度C/59度F (cool) 常温の日本酒 (room temperature) …

枕草子の美意識を拾ふ

沢田正子氏の「枕草子の美意識―非充足性への志向をめぐって―」より、『枕草子』の情景描写場面より負を担う美意識の表出として該当する箇所を挙げる。中関白家の威光を示す「蘭け(たけ)」の部分は省略し、従来の特徴とされていた「明朗・活発・鮮明・才気…

来し方とつながる

『論文を読む理由 - いつか博士になる人へ』を読み、漫画の4コマ目が胸に響いた。自分にとり「つながる」とはこういうことなのだ。別に博士になるわけではないけれど、知識の探究とはこの悦びよね、魂の震えるつながりが一つあればいいよね、と。 これは和歌…

評論における敬体

実務英語における3C(Clear/Correct/Concise=明解/正確/簡潔)を知って以来、文章はわかりやすく、正しく、短く記すべきであると認識してきた。よって当然、常体を使うわけだが、大岡信著『詩人・菅原道真―うつしの美学』に出会い、異なるアプローチも学び…

花と紅葉と

とても感性豊かな国語学者さんのツイートに陶酔している。春秋を視点に入れた彼女の読解方法を取り入れると、能因本の「風は」の冒頭箇所には、やはり儚く散った和漢融合の后、中宮定子の面影がそのまま生きていることに気づかされる。定子の父道隆が亡くな…

能因本の『枕草子』

旧暦三月に吹く風は…、「雨風」と「花風」であれば、どちらが季に似合う情景と感じるだろう。四種類ある『枕草子』の写本において、現在一般的な三巻本では「雨風」、江戸時代から戦後ぐらいまで広く読まれていた能因本では「花風」である。 島内裕子著『こ…

『枕草子』と『源氏物語』における『白氏文集』—感傷詩を中心に―

『白氏文集』に関連深い『枕草子』と『源氏物語』は中国語の母語話者に考察してもらうことが最適解である。張培華氏は「『枕草子』と『源氏物語』における『白氏文集』—感傷詩を中心に―」において、『白氏文集』の四分類、すなわち諷諭、閑適、感傷、雑律詩…

核となる論考

アカデミアに属しているわけではないので、一体どのような研究が最先端を走っているのか細部にわたり把握はできないが、核となる論考は流れを追う中で何となく見えてきたような気がする。 最近では赤間恵都子氏の「枕草子日記的章段の研究」で検証された一条…

枕草子の美意識―非充足性への志向をめぐって―

ウェブ上で芋づる式に研究論文を探っていた際、素晴らしい一本に出会えた。沢田正子氏の「枕草子の美意識」は、「面影」「気配」を特徴とする日本的象徴のルーツにつながる考察を丁寧に解説する。発表は1987年と古いのだが、十分に核心を突いて攫っているの…

『枕草子』の散らない桜

赤間恵都子氏の「『古今和歌集』と『枕草子』—「桜」の描写の比較から―」を読み、『枕草子』における桜の在り方を追った。以下、メモ。 赤間氏はまず、『古今集』における春歌一三四首のほぼ三割にあたる桜の歌、四一首を列挙し、咲いた桜、移ろう桜、散る桜…

雪に始まり、雪に終わる

枕草子は雪に始まり、雪に終わる―。 先行研究の「雪」を踏まえた赤間氏の論考を読み、「雪」に象徴される定子後宮への追憶は「雪に始まり、雪に終わる」印象を抱いた。枕草子は雪の白を纏っている。 清少納言の追憶において、中宮定子への想いの高ぶる日はい…

ツイッター文学

フォローしている国文学者さんが、読み手の存在するツイートは「ツイッター文学」というくくりの文学になってゆくといった内容のツイートをされていた。つぶやき文学。バズるツイートというよりも、ある一定の読者を満足させるツイートが新時代の新文学とし…

『枕草子』の雪景色

赤間恵都子氏による論考「『枕草子』の雪景色―作品生成の原風景―」に心が震えた。こういう文章が書きたいとあらためて感じ入っている。説明するにせよ、思考を述べるにせよ、描写がまるで歌の世界なのである。しっとりと迫ってくる。じんわりと浸ってしまう…

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