あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

枕草子の美意識を拾ふ

 沢田正子氏の「枕草子の美意識―非充足性への志向をめぐって―」より、『枕草子』の情景描写場面より負を担う美意識の表出として該当する箇所を挙げる。中関白家の威光を示す「蘭け(たけ)」の部分は省略し、従来の特徴とされていた「明朗・活発・鮮明・才気等、明晰な歯切れのよい感覚」以外の、非枕草子的美意識に注視する。

残り・消えの美「…花やぎ、さかりの状態から一歩遠のき、消え・衰えに向かうような消極的状態において見いだされるもの…何らかの形で後退しているところに不思議な美意識が触発されている場合」「全盛の装いから少しそれた、滅びゆく運命にあるようなものに何か心ひかれるものを覚えている」

  • 御前の梅は、西はしろく、東は紅梅にて、すこし落ちがたになりたれど、なほをかしきに、うらうらと日のけしきのどかにて、人にみせまほし。(八三・かへる年の二月廿日よ日)
  • 雪は、檜皮葺、いとめでたし。すこし消えがたになりたるほど。(二五一)
  • 日は入り日。入りはてぬる山の端に、光なほとまりて赤う見ゆるに、薄黄ばみたる雲のたなびきわたりたる、いとあはれなり。(二五二)

滅び・衰えの美「滅び・衰えの意識がさらに深まったもの」「滅び消えてゆく過程にある自然に対しても深い配慮と悲しみの思いを忘れてはいない」「消極的美感がより印象的に美しくいかされている」

  • あはれなるもの…九月のつごもり、十月のついたちほどに、ただあるかなにかに聞きつけたるきりぎりすの声(一一九)
  • 九月のつごもり、十月のころ、空うち曇りて風のいとさわがしく吹きて、 黄なる葉どものほろほろとこぼれ落つる、いとあはれなり。桜の葉、椋の葉こそ、いととくは落つれ。(一九九)
  • 秋の野のおしなべたるをかしさは薄こそあれ。穂さきの蘇枋にいと濃きが、朝露にぬれてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。秋のはてぞいと見どころなき。色々にみだれ咲きたりし花のかたちもなく散りたるに、冬の末まで、かしらのいとしろくおぼどれたるも知らず、むかし思ひ出顔に、風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ、よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれと思ふべけれ。(六七・草の花は)

「見事な残りの美」

  • すぎにしかた恋しきもの 枯れたる葵。ひひなあそびの調度。二藍、葡萄染などのさいでの、おしへされて草子の中などありける見つけたる。…こぞのかはほり。(三〇)
  • 五月の菖蒲の秋冬過ぐるまであるが、いみじうしらみ枯れてあやしきを、ひき折りあげたるに、そのをりの香の残りてかかへたる、いみじうをかし。(二三〇)
  • よくたきしめたる薫物の、昨日、一昨日、今日などは忘れたるに、ひきあげたるに、煙の残りたるは、ただいまの香よりもめでたし。(二三一)

「ほころびたり色がさめたり糊がとれたりしてやや程度の衰えたものが周囲の素材とのふとした組み合わせにより意外な情趣を導いている」「少し着なれほどよく着古したものになつかしさにも似た風情を覚えている」

  • 十七八ばかりやあらん、ちひさうはあらねど、わざと大人とは見えぬが、正絹の単のいみじうほころびたえ、はなもかへりぬれなどしたる、薄色の宿直物を着て、髪、いろに、こまごまとうるはしう、末も尾花のやうにて…簾に添ひたるうしろでもをかし。(二〇〇・野分のまたの日こそ)
  • 人はいでにけるなるべし、うす色の、うらいとこくて、うへはすこしかへりたるならずは、こき綾のつややかなるが、いとなえぬを、かしらごめに引き着てぞ寝たる。(三六・七月ばかりいみじうあつければ)
  • きよげなるわらべなどの、衵どものいとあざやかなるにはあらで、なえばみたるに、履子のつややかなるが歯に土おほくつきたるをはきて…いくこそ、いみじう、呼びよせて見まほしけれ。(二三六・ものへ行く路に)

「つつましい装いにより深い感懐をこめて静かな美しさを見出している」

  • 男も、女も、わかくきよげなるが、いとくろき衣を着たるこそあはれなれ(一一九・あはれなるもの)
  • 故殿の御服のころ…わかき人々廿人ばかり…階よりたかき処にのぼりたるをこれより見あぐれば、あるかぎり薄鈍の裳、唐衣、おなじ色の単襲、くれなゐの袴どもを着てのぼりたるは、いと天人などこそえいふまじけれど、空より降りたるにやとぞ見ゆる。(一六一)

「そのものの単独の美だけではなく組み合わせ・とり合わせによる効果」

  • ことにきらきらしからぬ男の、たかきみじかきあまたつれだちたるよりも、すこし乗り馴らしたる車のいとつややかなるに、牛飼童、なりいとつきづきしうて、…おくるるやうに綱引かれて遣る。(二〇三)
  • なまめかしきもの…いとあたらしからず、いたうものふりぬ檜皮葺の屋にながき菖蒲をうるわしふわたしたる。(八九)

不鮮明・薄明の美「形態・程度は様々であるが、ほのか、かすか、おぼろ等、シャープな際やかな感覚とは異質の奥深いつつましい美しさが問われていることもある」「対象が何かに隠されてはっきり見えないとき、光や灯が鈍くぼんやりしているとき、何かを隔てているときなど、もう少し見えたらとゆかしく思うところに非常な美しさが彷彿とする」「一見気づかぬところにふとした美を探りあてたとき、その多くは直接的に対照を把握するというよりきわめて間接的なニュアンスが強いことになる」「何かの媒介によりすべてが露出しないところに奥行きのある余情美が期待されている」「照明などがおぼつかない状態にある場合にも同様な趣が伺われる」

  • なにの君とかやいひける人のもとに…心ばせなどある人の、九月ばかりにいきて有明のいみじう霧りみちておもしろきに、名残り思ひでられんことばをつくして出づるに、いまは住ぬらむと遠く見送るほど、えもいはずえんなり。(一八〇・ある所になにの君とかや)
  • 賀茂の臨時の祭…使はかならずよき人ならず、受領などは目もとまらずにくげなろも、藤の花にかくれたるほどはをかし。

「はっきりと見えてしまう以上の幻想的な美しさが演出されている」

  • いみじうしつらひたる所の、大殿油はまゐらで、炭櫃などにいとおほくおこしたる火の先ばかり照りみちたるに、御帳の紐などのつややかにうち見えたる、いとめでたし。(二〇一・心にくきもの)
  • 額髪長やかに面やうよき人の、暗きほどに文を得て、火ともすほども心もとなきにや、火桶の火をはさみあげて、たどたどしげに見ゐたることをかしけれ。
  • 雪のいと高う降りつもりたる夕暮より、…火桶を中にすゑて物語などするほどに暗うなりぬれどこなたには火もともさぬに、おほかたの雪の光いとしろう見えたるに、火箸して灰など掻きすさみて、あはれなるもをかしきもいひあはせたるこそをかしけれ。(一八一)

「霧のかかったような鏡面にぼうっと映し出されたわが顔が現実以上に美しく見えておもわずどきっとしてしまう」

  • こころときめきするもの…唐鏡のすこしくらき見たる(二九)

「朧化された想像の余地・広がり」「間接・曖昧を基調とする美的感覚のひとつのあらわれ」

  • 心にくきもの ものへだてて聞くに、女房とはおぼえぬ手の、しのびやかにをかしげに聞こえたるに、こたへわかやかにしてうちそよめきてまゐけはひ。(二〇一)
  • 人の臥たるに、物へだてて聞くに、夜中ばかりなど、うちおどろきて聞けば、起きたるななりと聞えていふことは聞えず男もしのびやかにうちわらひたるこそ、なにごとならんとゆかしけれ。(二〇一・心にくきもの)

「広い意味での間接美への憧れにつながる」

  • なげのことばなれど、せちに心ふかく入らねど、いとほしきことをばいとほしとも、あはれなるをば「げにいかに思ふらん」などいひけるを伝へ聞きたるは、さし向かひていふよりもうれし。(二六九・よろづのことよりも情あるこそ)

「ほとんど気のつかないようなほのかさ、たどたどしさ、そのおぼろな様子にヴェールの奥をしのぶような趣きを感じとっている」

  • 梨の花、よにすさまじきものにして…愛敬おくれたる人の顔などを見てはたとひにいふも、げに葉の色より初めて、あいなくみゆるを、もろこしには限りなきものにて、ふみにも作る、なほさりともやうあらんと、せめて見れば、花びらのはしに、をかしき匂ひこを、心もとなうつきためれ。(三七・木の花は)
  • 木々の木の葉、まだいとしげうはあらで、わかやかにあをみわたりたるに…すこしもりたる夕つかた、よるなど、しのびたる郭公の、遠くそらねかとおぼゆばかり、たどたどしきをききつけたらんは、なに心地かせん。(五・四月祭のいとをかし)

「ほのかなしのびやかな状態に心にくいような情趣を意識している」

  • 燈籠に火ともしたる、二間ばかりさりて簾高うあげて女房二人ばかり、童など…臥したるもあり。火取に火深う埋みて心ぼそげににほはしたるも、いとのどやかに心にくし。(一九三・南ならずは)
  • 宵うち過ぐるほどに…、かたはらにいとよく鳴る琵琶のをかしげなるがあるを、物語のひまひまに、音もたてず、爪弾きにかき鳴らしたるこそをかしけれ。(一九三・南ならずは)

不十分・非充足の美「空白感・余白感に由来する美意識」「非充足からくる美意識が触発されている」「控えめな自然の諸形象」

  • 雪のいと高うはあらで、うすらかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。(一八一)
  • 雪は檜皮葺、いとめでたし。…いと多うも降らぬが、瓦の目ごとに入りて黒うまろに見えたる、いとをかし(二五一)
  • 月は有明の、東の山ぎはにほそくて出づるほど、いとあはれなり。(二五三)
  • 夏はよる。月の頃はさらなり、やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。またただひとつふたつなど、ほのかにうちひかりて行くもをかし。(一・春はあけぼの)

「十分でない、ほんの少しの香りはこの場にふさわしいなまめかしい余情を添える」

  • 枕がみのかたに、朴にむらさきに紙はりたる扇、ひろごりながらある。みちのくに紙の畳紙のほそやかなるが、花かくれなゐか、すこしにほひたるも、機長のもとにちりぼひたり。(三六・七月ばかりいみじうあつければ)

「十分に見える以上の美的効果が期待」

  • 心にくきもの…よう打ちたる衣のうへにさわがしうはあらで、髪の振りやられたる、長さおしはからる。(二〇一)
  • 香染のひとへ、もしは黄生絹のひとへ…袴の腰いとながやかに衣の下よりひかれ着たるも、まだとけながらなめり。そとのかたに髪のうちたたなはりてゆるらかなる程ながさおしはかられたるに。(三六・七月ばかりいみじうあつければ)

「不十分さへの憧れがさらに積極的に働くと、充足されぬゆえのもどかしさ、もの足りなさから生ずる心理的非充足感が際立った美的世界を構築する場合がある」「もの足りなさ、心残りの非充足感を基調に一つの美的世界が築かれている」

  • ほととぎすは、なほさらにいふべきかたなし。いつしかしたり顔にも聞えたるに、卯の花、花橘などにやどりして、はたかくれたるも、ねたげなる心ばえなり。…五月雨のみじかき夜に寝覚をして、いかで人よりさきにきかむとまたれて、夜ふかくうちいでたるこゑの、らうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれせんかたなし。六月になりぬれば音もせずなりぬる、すべていふもおろかなし(四一・鳥は)

「ことばの不十分さ、無言・寡黙へのゆかしみ」「多くの言葉を使って十分に言い尽くすよりわずかな言い足りないような表現の中にかえって奥深い抒情を意識」

  • 網代ははしらせたる。人の門の前などよりわたりたるを、ふと見やるほどもなく過ぎて、供の人ばかりはしるを、誰ならんと思ふこそをかしけれ。ゆるゆると久しくゆくはいとわろし。(三一・檳榔毛はのどかにやりたる)
  • 講師ゐてしばしあるほどに、前駆すこしおはする車とどめておるる人、蟬の羽よりもかるげなる直衣、指貫…わかうほそやかなる三四人ばかり…講師もはえばえしくおぼゆなるべし、いかでかたりつたふばかりと説き出でたなり。聴聞すなどたふれさわぎ、ぬかつくほどにもならで、よきほどにたちいづとて、…見しらぬは、たれならん、それにやなど思ひやり、目をつけて見おくらるるこそをかしけれ。(三三・説教の講師は顔よき)
  • 後に来たる車の、ひまもなかりければ、池にひきよせてたちたるを見給ひて…「たが車ならん、見しり給へりや」などあやしがり給ひで、「いざ、歌よみて此の度はやらん」などのたまふ程に、講師のぼりぬれば、みなゐしづまりて、そなたをのみ見る程に、車はかいけつやうにうせにけり。下簾など、ただけふはじめたりと見えて、こきひとへがさね二藍の織物、蘇芳のうす物のうは着など、しりにも摺りたる裳やがてひろげながらうちさげなどして、なに人ならん、なにかはまたかたほならんことよりは、げにときこえてなかなかよしとぞおぼゆる。(三五・小白河といふ所は)

「十分にゆきわたらない、何かを補いたいような余白を残しているにもまた別の余情美を見出している」

  • つねに文おこする人の、「なにかは。いふにもかひなし。いまは」といひて、…またの日、雨のいたく降る、昼間で音もせねば「むげに思ひ絶えにけり」などいひて、端のかたにゐたる、夕ぐれに、かささしたる者の持てきたる文をつねよりもとくあけて見れば、ただ「水増す雨」とある、いと多くよみ出しつる歌どもよりもをかし(二九三)
  • 「しばしもさぶらふべきを、時のほどになり侍りぬれば」などまかり申しして出づれば「しばし」など留むれど、いみじういそぎ帰る所に、…「いと執念き御んもののけに侍るめり。たゆませ給はざらむ、よう侍るべき。よろしうものせさせ給ふなるをよろこび申し侍る」と言すくなにて出づるほど、いとしるしありて仏のあらはれ給へるとこそおぼゆれ。(二三・松の木高き所の)

不完全・無為の美「完璧さから逸脱した不完全、無作為を思考する美意識」「ややくずれた風情にゆとりある美しさを覚えている」

  • いと濃き衣のうはぐもりたるに黄朽葉の織物、薄物などの小袿着て、まことしうきよげなる人の、夜は風のさわぎに寝られざりければひさしう寝起きたるままに、母屋よりすこしゐざり出でたる、髪は風に吹きまよはされてすこしうちふくだみたるが、肩にかかれるほど、まことにめでたし。(二〇〇・野分のまたの日こそ)
  • 朝ぼらけのいみじう霧りたちたるに、二藍の指貫に、あるかなきかの色したる香染の狩衣、白き生絹にくれなゐのとほすにこそはあらめ、つややかなる、霧にいたうしめりたるをぬぎ、鬢のすこしふくだみたれば烏帽子のおし入れたるけしきも、しどけなく見ゆ。(三六・七月ばかりいみじうあつけれ)

「素材や着方にちょっと手を抜いたような様子に非常な心ゆかしさを覚えている」

  • なまめかしきもの…をかしげなる童女の、うへの袴など、わざとあらでほころびがちなる、汗衫ばかり着て、卯槌・薬玉などながくつけて、勾欄のもとなどに、扇さしかくしてゐたる。(八九)
  • すきずきしくてひとり住みする人の、夜はいづくにかありつらん、暁に帰りて、やがて起きたる、ねぶたげなるけしきなれど、硯とりよせて墨こまやかにおしすりて…心とどめて書く。まひろげ姿もをかしう見ゆ。(一九一)

「少し無作法なほうがかえって細やかな余情が残る」

  • あかつきに帰らん人は、装束などいみじううるはしう、烏帽子の緒、元結かためずともありなんとこそおぼゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく直衣・狩衣などゆがめたりとも、誰か見知りてわらひそしりもせん。(六三)

「さりげない無作為な姿態が人としての格の高さを示している」「ゆったりとやすらかに振舞う、らうたけた姿」

  • 碁をやむごとなき人のうつとて、紐うち解きないがしろなるけしきに拾ひ置くに、おとりたる人のゐずまひもかしこまりたるけしきにて、碁盤よりはすこし遠くおよびて、袖の下はいま片手してひかへなどしてうちゐたるもをかし。(一四六)
  • 淑景舎は…紅梅いとあまた濃く薄くて、上に濃き綾の御衣、すこしあかき小袿…いとうつくしげに絵にかいたるやうにてゐさせ給へるに、宮はいとやすらかに、いますこしおとなびさせ給へる御けしきのくれなゐの御衣にひかりあはせ給へる、たぐひはいかでかと見えさせ給ふ。(一〇四)

「手を加えすきない無為・不完全な状態への憧れが確かに育まれている」

  • いつもすべて、池ある所はあはれにをかし。冬も氷したるあしたなどはいふべきにもあらず。わざとつくろひたるよりもうち捨てて水草がちに荒れ、青みたる絶え間絶え間より月かげばかりは白々と映りて見えたるなどよ。(二七・池ある所の五月の長雨のころこそ)
  • 女のひとりすむ所はいたくあばれて築土などもまたからず、池などある所も水草ゐ、庭なども蓬にしげりなどこそせねども、ところどころすなごの中より青き草うち見え、さびしげなるこそあはれなれ。ものかしこげになだらかに修理して門いたく固め、きはぎはしきはいとうたてこそおぼゆれ。(一七八)

 これだけ『源氏物語』的な情景があるにもかかわらず、藤原俊成・定家親子に重視されなかった背景には、鎌倉時代ですら『枕草子』は十分な形で遺っておらず分かりにくかったからという。よって『源氏物語』研究は古今問わずさかんな一方で、『枕草子』の謎解きはこれから始まろうとしている感がある。

 哀しさの美学を通した『源氏物語』と対照的に、『枕草子』は現実の悲哀を明朗へと投影した。中世の歌人たちが掬えなかったこの重層感こそ現代に享受される予感がする。

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