あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

『枕草子』の雪景色

 赤間恵都子氏による論考「『枕草子』の雪景色―作品生成の原風景―」に心が震えた。こういう文章が書きたいとあらためて感じ入っている。説明するにせよ、思考を述べるにせよ、描写がまるで歌の世界なのである。しっとりと迫ってくる。じんわりと浸ってしまう。和歌では鈴木宏子氏、『枕草子』では赤間恵都子氏の論文…と、とても高価だが食指が動く。以下、赤間氏の論考メモ。

 『枕草子』と雪の関係を論じた最近の先行研究では、「『枕草子』の雪に宮廷化の属性をとらえ、初出仕の段にその叙述の進化を指摘」*1するものと、「『枕草子』が実態以上の〈大雪〉を表現する場面に、〈雪と中宮と私〉を描く構図をとらえる」*2ものの二つがある。いずれも「定子後宮と雪」の景色であり、清少納言が好んで描写した。赤間氏は先行研究の指摘を確認しつつ、『枕草子』の雪景色を追っていく。日記的章段において、定子後宮を描く印象的な場面はいつも雪景色とともにある。

  • 第一段では春から秋まで自然風景を採りあげ、冬で初めて人間を登場させ後宮の朝を描く「冬はつとめて」。
  • 宮中初出仕の日「宮にはじめてまゐりたるころ」。清少納言は緊張して、外に雪が降り積もっていることなどまったく気づかなかった。
  • 初出仕の翌日、定子の兄、大納言伊周が雪景色を背景に華々しく登場。「大納言殿のまゐりたまへるなりけり」では「山里は雪降り積みて道もなし今日来む人をあはれとは見む(『拾遺集』冬・平兼盛)」の歌を介した定子と伊周のやりとりに、この世のものとは思えない、まるで物語世界のようだと感動する。
  • その後、白い雪に映える若い男性貴族の衣装を鮮やかに描写。「雪高う降りて、今もなほ降るに…」
  • 他にも正月の除目の頃「ころは…」、宮中の細殿に雪や霰が風と一緒に入り込んでくる様子「うちの局」など、第一段の宮中の冬の風景が作品世界への導入部として機能している。
  • 香炉峰の雪「雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて…」。
  • 雪の漢詩に関わる逸話として「村上天皇の先帝の御時に…」。村上天皇に詠歌を命じられ側近の女官が即座に漢詩の一句を答えて褒められた話。和漢朗詠集の「雪月花」の景物に合致させ「最も君を憶ふ」で天皇への思いを暗示。清少納言にも和漢朗詠集を借用して一条天皇に返答し評価された逸話がある。「殿上より、梅の花散りたる枝を…」→赤間氏「大歌人の子としての自負を持つ清少納言は、新しい文学創出の方法として漢詩を利用し、定子後宮で自己実現を果たしたものと考える」「女性の主体的な文化活動を先導していたのは、中宮定子その人だっただろう」
  • 雪の降る夜、女房たちが集まってとりとめもない話をする場面「また、雪のいと高う降り積もりたる夕暮より…」
  • 定子不遇時代に関わる歴史的事実が『枕草子』に直接記されることはない。だが職御曹司の雪山の段は、王朝文化を継承する定子後宮の存在感を知らしめる雪山作りに定子内裏参入の期待を重ねる重要な意味を持つ段で、この内裏参入が実現して翌年の第一皇子誕生につながってゆく。「師走の十余日のほどに…」→赤間氏「村上朝に始まる雪山作りを意識することで、文化の発信源としての定子後宮の姿を世間にアピール」「第一皇子の母としての定子の立場を示すものと読めるだろうか」
  • 鳥辺野に降り積もる雪。『枕草子』には書かれないが、『栄花物語』が大きく定子崩御を扱っている。→赤間氏「『枕草子』に書かれなかった最後の雪景色、定子葬送の日の記憶は、書かれないことによって作品生成の原動力となったと考える。「春はあけぼの」に始まる『枕草子』は、まさしく冬の雪景色の中から生まれた作品だったと言えるだろう。」

 赤間氏はこの原稿執筆の際、清少納言の初出仕から職御曹司時代までの雪に関わる章段を検討していくうちに、「改めて定子本人の存在を強く感じ、彼女は最後まで自ら積極的に行動する強い后だったのではないかと考えるようになった」という。たとえば、亡くなる四か月前の定子の様子を伝える『権記』には、妊娠後期にもかかわらず身辺雑事を自ら処理する姿に「果敢に行動する定子の人物像」が窺い知れると指摘する。そして、一族の未来を背負って孤軍奮闘していた定子は、責任感とプライドを最後まで保ち続け、見届けられなかった皇子の皇位継承のためにできるだけのことをしようと考えたのではないかと読む。「その手段の一つとして『枕草子』を完成させて公表し、中関白家の威光を世に示すよう清少納言に指示していた可能性もあるだろう」とする。この新しい視点には脱帽だった。

*1:中田幸司氏「『枕草子』風土攻—〈雪〉の叙述と機能―」

*2:津島知明氏「〈大雪〉を描く『枕草子』—〈雪と中宮と私〉という肖像」

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