あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

歴史読み枕草子―清少納言の挑戦状

 お気に入りにもかかわらず、ずっと記せずにいた本について。

 赤間恵都子著『歴史読み 枕草子―清少納言の挑戦状』に出会ったのは三省堂のウェブサイトだった。2009年に出版された『枕草子日記的章段の研究*1を一般読者に分かりやすく伝える目的で書かれたウェブコラムであり、確か編集者に勧められての執筆ではなかったか。第一章が2009年3月31日で始まりその後、一か月に二度の掲載だったと思う。私が知ったのはすでに全五十章収録後で、ふと読み始めて止まらなくなり一気に読み終えた。

 『枕草子』の日記的章段は、たとえ凋落し凄惨な日々に曝された不遇時代でも定子後宮の栄華を賞賛し、中宮定子の高雅な姿を明るく描写し続けた。この光と翳ゆえに中宮定子の面影は彼女の崩御後も存在感を保ち、遺された第一皇子を皇位継承者として世間に認めさせるような作用も持っていたことから続く彰子後宮に多大な焦燥、苦痛を与えることになる。これは彰子に仕えた紫式部が自らの日記『紫式部日記』にて清少納言を貶す言葉にも表れており、これこそが清少納言の意図したであろう「挑戦状」だった。

 日記章段を時系列に並べ綿密に読み込んだ研究から浮かび上がる真相は、現代人の心をも激しく揺さぶる。中宮定子の生きざまと定子後宮を支えた清少納言の確固たる思い、それを綴る赤間氏の丁寧な筆致が心地よく、コラムがそのまま書物として出版されないかな…との願いが通じたのかその後、書籍になったことを知り即、購入に至った。ページ構成が何気なく古文の教科書のようであり、そこもお気に入りの理由の一つである。下段に注釈があり、巻末には年表、登場人物解説、関連系図、内裏などの図録が豊富に添えられる。

 赤間氏は真実を優しく穏やかに綴る。敬体で書かれた「口調」がまた一条朝・定子後宮の悲劇を濃く物語っている。定子崩御の場面は『枕草子』には書かれず、藤原道長の栄華を記す『栄花物語』に遺されているのだが、降りしきる雪の中、遺骸が鳥辺野に埋葬される件は涙を誘う。『枕草子』には書かれなかったゆえの哀しさだろう。

 本書は2013年3月の刊行で、その4年後に山本淳子氏がほぼ同じ史実を伝えるタイトルの『枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い』を出された。山本氏はメディア出演が多く、先行研究をされた赤間氏より有名になった感がある。出版数も多く精力的に平安朝古典を啓蒙し、古典分野のベストセラーでは現在、アマゾン・ランキングのトップ10に何冊もランクインしている。

 しかしながらその中のレビューには先行研究への敬意欠如云々という同業らしき人の指摘があり、あとがきの冒頭に言い訳のような一文が見られる著作もある。この『枕草子』本に関して言えば、確かに山本氏の著作は情報満載だが、誰の研究成果なのか注がないので分からない。巻末に大量の参考文献が記されているものの、その量に比して本文での研究言及は十分と感じられず、まるでほとんど自らの論考であるかのように綴られる。

 確信として疑問を感じたのは本文25頁。ずっと知りたかった問い「なぜ春はあけぼのであり、桜ではないのか」への回答に感動した直後である。和漢融合の后としての定子を象徴するために、古今和歌集の四季の部立てと漢籍で類書と呼ばれる百科事典が天象から始まっていることを取り入れ「春はあけぼの」が誕生したという。なるほど、素晴らしい発見である。これはどの研究が初出なのだろう。ぜひその論文を芋づる式に読んでみたいとわくわくしたが、出典は明らかにされていなかった。ここから疑念を抱き始めた。誰の研究なのだろうと疑念は膨んでいく。そもそも一読者に「これは本当にこの人の研究成果なのだろうか」と感じさせてしまう筆致こそ、かなり問題ではなかろうか。このあたりから強い語気が嫌味に感じられるようになってきた。ドラマチックに展開し相手を乗せようとする目論見が感じられてしまう。

 赤間氏は一箇所、本文127頁で「平安文学研究者の赤間恵都子は『女房達はわざと簾の端を開けて、経房に自分たちの怠りない装束姿をのぞかせた』のだろうとすら想像する(『歴史読み枕草子 清少納言の挑戦状』)」と触れられていたが、そこではないだろうと感じた。なぜなら、山本氏の『枕草子』本自体、全て赤間氏の研究に依拠しているのだから。こういうものなのだろうか。たくさん注のある同類の書籍も多く見ているのだが。また、注こそ後学への懸け橋でありここから未来の研究へとつながっていく。考えてみれば山本氏は読み物風の書籍が多く、短期間に何冊も出版できる背景には、注なしの執筆が理由に挙がるかもしれない。いずれにしても赤間氏の著作をすでに読んでいたこともあり、不自然な後味が残った。同じ主題を扱った二冊から両氏の違いがよく見て取れ、興味深かった。

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