あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

枕草子の美意識―非充足性への志向をめぐって―

 ウェブ上で芋づる式に研究論文を探っていた際、素晴らしい一本に出会えた。沢田正子氏の「枕草子の美意識」は、「面影」「気配」を特徴とする日本的象徴のルーツにつながる考察を丁寧に解説する。発表は1987年と古いのだが、十分に核心を突いて攫っているので、この件に関してはこれ以上の論考は必要ないとさえ思える。

 学校教育では一般的に枕草子は「をかし」、源氏物語は「あはれ」のラベルを付けて構造主義よろしく対照の提示を行ってきた。ここから生じた両作品の印象は明るい枕草子に対し陰りのある源氏物語という位置づけで通ってきたが、沢田氏は根来司氏*1の「枕草子の文体は一見瞬間的なテンポの早い印象が強いが、実際にはかなり低徊した表現がとられ内省が隠されている場合が多い(要約)」に触れ、「一面的な、単純・明快な美のみではなく、その反対の極のものも含めてもっと陰影のある多様な美が内包されているところに枕草子美学の真の魅力が隠されているのではなかろうか」と問いかける。

 この論考では枕草子の反枕草子的要素、つまり源氏物語的要素を挙げてその箇所を考察し、枕草子の美意識の再検討を行う。さらに中世歌壇がなぜ源氏物語を顧み、枕草子の源氏物語的要素に共感しなかったのかを考察する。

 通念では…

〈枕草子の特徴〉

をかし・鮮明・率直・短文・口語的・ことば的・行動の非連続性・単純

〈源氏物語の特徴〉

あはれ・薄明・含蓄・長文・文語的・ことのは的・行動の連続性・複雑

 …と挙げられるが、枕草子にも源氏物語のような要素は溢れている。

  • 蘭け(たけ)には、王朝文化の伝統美に則り「その命を最も美しく燃焼させている状態にあるものに対して慈しみにも似た美的感動がこめられている」。

 以下、非枕草子的な美を該当箇所(ここでは省略)とともに列挙。

  • 残り・消えの美
  • 不鮮明・薄明の美
  • 不十分・非充足の美
  • 不完全・無為の美

 枕草子は源氏物語と同様の美学を持ち合わせていても、源氏物語ほど中世歌壇に重視されなかった。その理由として、源氏物語は作品全体が「究極的に悲しみの美学」であった一方、「枕草子は基調はあくまでも明るさであり花やぎであり…非充足的な美学は一側面」だったという両面性を挙げている。 

 日記章段の研究が進み、定子後宮の威光を遺す目的で書かれた枕草子の意義を知る現在、中世歌壇の視点はあまりにも浅はかではなかったかとの感想を抱く。裏返せば鎌倉時代、一条朝における中宮定子の生きざま、面影がすでに薄らいでいたとの印象も持った。

*1:根来司氏:「枕草子の文体の魅力」(『平安女流文学の文章の研究』笠間書院)

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