あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

「蛍」からの考察

 飯島裕三氏の「蛍」の箇所における考察が非常に印象的だった。以下メモ。

夏は夜。月のころはさらなり、やみもなほ蛍飛びちがひたる。雨など降るさへをかし。(能因本)

夏は、夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降る、をかし。(三巻本)

  氏は、能因本の記述が簡潔なため「能因本の方に原『枕草子』の姿が残存しているといえよう」とした上で、「蛍」に関するほかの記述を紹介する。

 まず、能因本にも三巻本にもほとんど異同のない『枕草子』の五十段「むしは」。

むしはすゝむしひくらしてう(蝶)松虫きり/╲すはたおりわれからひをむし蛍みのむしいとあはれ也

  「夏になれば毎夜飛び交う蛍を見慣れている平安貴族にとり、われわれ現代人の感覚を持ち込むことは危険である。(中略)五十段での蛍に対する淡泊な記述の姿勢は能因本に近い気がする。三巻本の蛍の描写は、現代人に情緒的に訴えるものを持っているが、果たして清少納言がそのように記したかには再検討が必要ではないかと考えている。」

 古今の感じ方を比較するこの細やかな感性には三嘆である。これが文学の営みであるというお手本を見せていただいた。「淡泊な記述の姿勢は能因本に近い」という指摘に同感である。同様に、追加文との印象を抱いた自分の視点にも重なる。簡潔であるからこそ春夏の均衡がとれていると直観した自分の感性も大事にしようと感じた。

 次に氏は、「蛍」に関してそのほかの先行諸作品を参照する。

 『伊勢物語』三十九段に天下の色好み源至が女車の中に蛍を放ち、姿を見ようとするエピソードがある。また、『うつほ物語』には四か所に蛍の記述がみられる。(宇津保物語研究会編『宇津保物語 本文と索引 本文編』笠間書院)

藤英くれなゐの涙をながして、はづかしくかなしとおもひて、夏はほたるをすゞしきふくろにいれて、ふみのうへにをきてまどろまず(祭使四三二)

 

ひかりをとぢつる夕べは、くさむらのほたるをあつめ、ふゆは雪をつどへて、(同四四二)

 

ほたる、をはしまる御まへわたりに、三・四つれてとびありく。ころもうすみ袖のうちよりみゆるひはみつしほたるるあまやすむらん(内侍の督八五七)

 

よるはほたるをあつめて学問をしはべりし時に(国譲下一五七二)

 「三・四つれてとびありく」という表現は、三巻本『枕草子』との関連があるかもしれないとする。

 先行諸作品を参照する重要性を示していただいた。

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