花と紅葉と
とても感性豊かな国語学者さんのツイートに陶酔している。春秋を視点に入れた彼女の読解方法を取り入れると、能因本の「風は」の冒頭箇所には、やはり儚く散った和漢融合の后、中宮定子の面影がそのまま生きていることに気づかされる。定子の父道隆が亡くなったのはちょうど三月。清少納言、また能因は、暗号のように花と紅葉を鏤めて定子のすがたを刻印したのかもしれない。深読みし過ぎだろうか。
以下は、能因本と三巻本の比較。
能因本
風は、嵐。木枯。三月ばかりの夕暮に、緩く吹きたる花風、いと哀れなり。
八月・九月ばかりに、雨に交じりて、吹きたる風、いと哀れなり。
三巻本
風は、嵐。三月ばかりの夕暮にゆるく吹きたる雨風。
八、九月ばかりに、雨にまじりて吹きたる風、いとあはれなり。
文学者とは感性。子ども時代にしか養えないと思う。