あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

写本と校註

 藤原定家の日本文学における功績は計り知れない。だが、その功績のおかげで、真実が後世に伝わらない現象が生じてしまう。それは平安朝文学で起きている。

 例えば定家校註の『源氏物語』において言葉の使用などを問題にする場合、定家写本と言われている三巻本『枕草子』は参考にならない、という事実。校註者が定家で同じなので、結局同じ解を手にする、ということになる。

 『源氏物語』でも『枕草子』でも「定家本」だけを読んでいると、見えるものは同じなので謎が解けないということである。「定家本」は分かりやすいけれど、謎はそのまま。

 時代を通過してきた書物の存在を考えされられた。校注者の知識によりそれは図らず改変されてしまう。新しい視点を授けていただいた。時代は能因本なのだろう。

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