あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

夏と冬

 ツイッターに「雪月花には夏がない。花鳥風月には冬がない」との文を見つけた。なるほど、本当にそう。雪月花の出典は白氏文集だが、花鳥風月は何なのだろう。一説に世阿弥の能楽論よりと耳にしたが、世界大百科事典第2版にも以下があった。

風姿花伝(一四〇〇~〇二頃)二「源平などの名のある人の事を花鳥風月に作り寄せて」

御伽草子。《扇合物語》《花風物語》ともいう。萩原院(花園天皇)御代(在位一三〇八~一三一八)、都西山の葉室中納言の御所で扇合が行われたおり、公卿一人と口覆いをした女房とをかいた希代不思議の絵をめぐって、これを在原業平とする側と光源氏とする側との二手に分かれて相論に及び、巫の花鳥・風月に占わせることとなる。両人はもと出羽羽黒の者で、人を梓の弓にかけて口寄せすること神変の姉妹で、業平側の人々の問いに応じて花鳥は短冊一つ取り出し、早速業平と占う。

 「花鳥風月」を検索にかけてみたら日本語を学ぶ中国の方が大変興味深い疑問を質問サイトにて投げかけており、これもメモ。この四字熟語に関してはいつか目にしたことがあったけれど、もしやここだったのかな。そうそう、中国語の方の表現は否定的な意味も含まれるとのことだった。ここだと思う。

 中国語では「風花雪月」なのに日本語では「花鳥風月」と表現し「雪」を除き「鳥」を加えている。中国語の「風花雪月」には「自然の美しい風景」という意味のほかに、「美辞麗句を並べただけで中身がなく、没落貴族の情緒を反映した詩文を指す」という比喩もあり、日本語にも同様の意味があるのだろうか。質問者はそんな風に疑問を投げかける。この「花鳥風月」と「風花雪月」のやり取りを見ていると漢詩をもっと知りたいなと思わずにはいられない。

 一方、春秋論争の起源が未だ分からずもやもやしている間、とても楽しみな論文を一本見つけ手にするのを心待ちにしている。田中新一氏の『平安朝文学に見る二元的四季観』(風間書房1990年)であり、ここで「春と秋の二元的四季観を持つ平安朝文学の中で『枕草子』は例外である」との指摘がなされた。

 現在、航空便が再び停止となったため船便により待たされるのが辛い。

春秋論争 - あけほのむらさき手帖

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