あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

パンドラの箱

 口語短歌と情報革命(SNS)の同時発生が、三十一文字の今後を決定する分岐点になっている。いまだかつて歴史上で経験のなかった歌の変革期であり、未来の短歌の姿が決定される起因となる。

  1. 定型と不定型:定型に収まらない歌が多い。気持ちや内容を優先させて、不定型にしている。あるいは、不定型にすることで、感情の高まりを強調しようとする。雰囲気で包囲する自由律という名の詩形もある。また、定型に収める技量不足が原因の場合も多い。そのスタイルはウェブやSNSで即座に拡散されるので、不定型の位置が確立されつつある。定型は音韻への意識が必要だが、不定型は必要がない。定型無視は気軽で楽しい。
  2. 旧仮名と新仮名:この選択は今に始まったことではない。新しさを求める人は、旧仮名を旧時代の産物として扱う傾向にある。旧仮名は語源を尊重するので、詞を深く見つめる目を養う。旧仮名はひと手間かけることが多く学習が必要だが、新仮名は必要がない。新仮名は気軽で楽しい。
  3. 文語と口語:口語のほうが言いたいことが発信でき、読者にとってもわかりやすい。定型に収まらなくても、感情や内容が伝わればいいわけで、上記1につながる。旧仮名と同様に文語もひと手間かけることが多く学習が必要だが、口語は必要がない。口語は気軽で楽しい。
  4. 縦書きと横書き:歌を詠むとき、横書きでも全く苦にならない層があるとのこと。もはや、文字は意味を伝達する記号であって、その表現方法について、縦でも横でも関係ないとのこと。作品中にアルファベットの語彙が多いので、横書きが適するのだとも。

 時代の潮流はあきらかに、各項目後者(新派=不定型、新仮名、口語、横書き)であり、前者(旧派=定型、旧仮名、文語、縦書き)は陳腐以外の何ものでもないことが証明されている。過去の歴史を紐解けば、時代を構築した詠み方は常に新派が創造してきた。万人に開かれている利点からも、新派はひとつの流派というよりも主流であるのだろう。気軽で楽しいことは、流れを継続する重要な要因だ。

 しかしながら、旧仮名、文語の縦書きを支持する旧派といえど、時代は現代である。感性そのものは現代にあるのであり、新しいといえるのではないか。ただ、表現する形が旧式であるだけで、新規の創造への余力は十分に残されていると思われる。普遍性を重視するだけに、次世代への雅は少数精鋭の旧派の新しい発想から生まれるのではないかと読んでいる。

 新派と旧派はもはや共存はできないと考える。よって、いずれ決別し、お互いそれぞれの共同体で詠み続ければいいのではないか、と。たとえば、江戸中期、俳諧連歌から派生した「川柳」と同様に、口語短歌やライト・ヴァースを「俵」などと呼んで 57577 の音を持つ日本語の詩のひとつに位置付けるといいのではないか…とか。ここで両派に分かれないと、この先、雅の追究が困難になる予感がする。両派で両派なりの現代の雅を追究してはどうかと思うのだ。というよりも、定型、不定型の問題なのか…。あるいは、縦書きと横書きか…。

 踏襲と破壊を交互にくりかへしことのはは今そよろと揺るる

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