あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

清少納言集

 『清少納言集』は異本と流布本があり、本人以外の歌も含む。清少納言の死後、親しい人により編まれたという。今回手にしたものは全 42 首を収録。うち、数えてみたところ恋歌が 24 首 で、それ以外は、人間関係、身上を嘆く歌など、全体的に袖の濡れるウェットな歌ばかりが並ぶ。あの「枕草子」で見せた、機知に富む前向きな個性は 100 % 影を潜める。百人一首に採られ、「枕草子」では藤原行成とのやり取りで知られる「夜をこめて鳥のそらねははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ」は未収録である。

 父は勅撰集総歌数 108 首の歌人清原元輔。曾祖父の深養父も歌人で勅撰集に 41 首入選しており、清女の才覚は血を受け継いだと言われている。ただ、自身は歌才についてかなり家系を意識しており、「枕草子」でも中宮定子との歌のやりとりからそのあたりの心境が証されている。九十五段「五月の御精進のほど、職におはしますころ…」から。

元輔がのちと言はるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる(定子)…元輔の子と言われるあなたが、今宵の歌の仲間外れになっていいのでしょうか。

その人ののちと言はれぬ身なりせば今宵の歌をまづぞ詠ままし(清女)…誰の子と言われない身の上であれば、今宵の歌をまず詠むのですが。

  同時代の女性歌人と勅撰集入集歌数を比較すると、和泉式部 248 首、赤染衛門 101 首、紫式部 62 首、伊勢大輔 52 首、馬内侍 38 首、清少納言 15 首。『清少納言集』(佐藤雅代校注)は、「亡き父元輔の名誉のためにも下手な歌など絶対に披露できない、という強い思いがあったのだろう。そのために、意識的に詠歌の場から遠ざかろうとしていたのかもしれない」と触れる。和泉式部、赤染衛門とは手紙のやりとりをするなど、親しい交流のあったことがよく知られている。どのような交友関係だったのだろう。すでに達観しており、紫女が抱いたようなライバル心は稚拙なことと分別をつけていたのか。

 清女は、かなりもてた女性のようである。歌集の半分以上が恋歌やその返歌であることもその証明のひとつとして意味を持つのではないか。結婚は 2 度(橘則光、藤原棟世)で、それぞれ子をもうけている。その他に、藤原実方と親しい関係にあり、藤原斉信、藤原行成、藤原公任との交渉は「枕草子」にも表れる。縮れ毛で見栄えのよくないことをもらしていたけれど、コミュニケーション能力に長けた魅力的な女性だったのだろう。藤原道長、藤原公任とは同年と言われており、どのような気持ちで接していたのか興味がそそられる。異性との華やかな交流関係において、紫女とはかなり異なる。

 「枕草子」とこの歌集から垣間見える清女の人間像の差異は大きい。つまり、やはり「枕草子」は、相当の「たくらみ」を意識して意図的に書かれたものということになるのだろう。

 気になった歌を引く。

25 訪ふ人にありとはえこそ言ひ出でねわれやはわれと驚かれつつ…訪ねてくる人に無事生きているとはとても口に出して言えません。自分自身でも、これが本当に私だろうかとつい驚いてしまうのですから。…補注に、「あまりの老いを意識して、来訪者との対面を避けたいと思う、当惑した心中を詠む」とある。自意識の高い人だった。

26 月見れば老いぬる身こそかなしけれつひには山の端に隠れつつ…月を見ると年老いたわが身が悲しい。月が最後には山の端へ隠れてしまうように、私もこの世から姿を隠しつつあるのだなあ。…月が山の端に沈むことを自分の終焉に喩えた歌。華やかな後宮文化を体験した人だけに、寂しさもひときわだったのだろう。

35 風のまに散る淡雪のはかなくてところどころに降るぞわびしき…風が吹く間に散る淡雪が、はかなくあちらこちらに降っているのがわびしいことです。…冬の情景が綺麗だなあ、と。 

40 花よりも人こそあだになりにけれいづれを先に恋ひんとかせし…花よりも、人の方がむなしくなってしまった。花と人とどちらを先に恋い慕ったらよかったのでしょう。(あだはむなしくなること、人の方が先に死んだことを表す)…花と人。本質的な題材。

賀茂保憲女集・赤染衛門集・清少納言集・紫式部集・藤三位集

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