あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

雅俗

 「俗」を「無限の可能性を秘めるもの」と定義して、ここでは雅俗を「伝統に対して新しくなおかつ雅を有するもの」としたい。そう実感している対象は、英国人の現代作曲家 John Rutter の教会音楽である。モーツアルトなども美しい教会音楽を創作しているが、耳にして即、体の奥底からこみ上げてくる熱い感動体験はなかった。

 だがラターの教会合唱曲は、個人的なことなのかわからないが、全く異なるのである。聴き始めた瞬間に涙腺崩壊となることが多い。この突然の「感動」というものはどこから湧き上がってくるのだろう。穏やかでときに軽快な調べは、とても現代的である。イメージしやすい美しい歌詞も魅力的だ。聴く環境が聖堂であることから音響との関係もあるのかもしれない。…など、いろいろ挙げられそうなのだが、結局のところ、よくわからない。

 一例としてラター作 "For the Beauty of the Earth" の内容を追ってみたい。

FOR THE BEAUTY OF THE EARTH

        John Rutter

1番

For the beauty of the earth

 …空、生まれてから受けている愛

(リフレイン)

全能の主よ、あなたにこの喜びに満ちた聖なる賛歌をささげます。

 

 2番

For the beauty of the hour

…昼、夜、丘、谷、木、花、太陽、月、星の光

(リフレイン)

全能の主よ、あなたにこの喜びに満ちた聖なる賛歌をささげます。

 

3番 

For the joy of human love

…兄弟、姉妹、親子、地上の友、天上の友、やさしい思い

(リフレイン)

全能の主よ、あなたにこの喜びに満ちた聖なる賛歌をささげます。

 

4番 

For each perfect gift of thine

…慈悲、威厳、地上の花、天上の蕾

(リフレイン)

全能の主よ、あなたにこの喜びに満ちた聖なる賛歌をささげます。

 1番が斉唱、2番で二部となり、3番で転調、異なる高音部のバリエーション、4番で再び転調、ユニゾンから異なる二部構成。このようにみると、節ごとに変化に富んでいる。自分の感動のこみ上げるタイミングを読むと、やはり変化の生まれるところと一致する。

 歌詞の内容は、前半に自然、時空など地上の光景を歌い、後半から家族、友人ら人間が登場し、人間の尊厳へと盛り上げてゆく。

 振り返ると、合唱という連作において調べの変化自然と時空人間の存在、そしてもちろん、それらを歌う言葉は美しい韻文であることが感動を呼び起こす起因になっている、ということになるか。当たり前と言えば当たり前なのだが、最後は、やはり人間か。自分が苦手とするところかもしれない。

 歌にも通じる雅俗の学びではないかと感じたので、記しておきたかった。

Saint Paul Cathedral Choir: For the Beauty of the Earth

追記:コメント欄に、「これはフォーク」とあった。まさに、雅俗の証明。

©akehonomurasaki