あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

両極の一方

 対照的な存在が好きで、歌でもよく詠んでいる。両極を眺め、相違点を味わう過程が心地よい。歌における自らの探究を考えるときも同様である。一方は古歌、もう一方は現代に向かった歌であり、両極を見る。

 美の観点から、古歌における追及は焦点が定まったと感じていた。ただ、もう一方のベクトル上の歌(句)は芭蕉/蕪村で止まっている感があった。あるいはもう少し伸ばせば、山口誓子の出現までである。

 しかしながら、昨年、思いがけない出会いがあった。魚座俳門である。「軽みとは、儚さではないのか」と語った今井杏太郎の世界観に触れ、芭蕉俳諧の継承者が現代にいたと直感した。「新しみを持ちながら、俗に陥らない雅」の実践者である。 

 では、短歌ではどうか。「新しみを持ちながら、俗に陥らない雅」として風雅を継承する歌はいずこに。

 それが、沙羅みなみ『日時計』であると知ることができたのは、こちらの書評(沙羅みなみ『日時計』(青磁社)に寄せて - 灯禾亭春秋のおかげだった。深謝。手元に歌集はないが、拾い読みをすると、平明な口語の中に透明感、静謐さ、柔らかで象徴的な詩情をたたえており、自ずと魚座俳門に通じる儚さも感じた。歌人が精神科医という事実も輪をかけて、言葉に透明な質感を与えている。

 今後、あきらかに自らの澪標となる歌との出会いであり、感慨深かった。

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