あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

What(何を)&How(如何に)

 昨年、結社の歌会に何度か参加させていただき最初に気づいたことは、詠歌における「What(何を)」 と「How(如何に)」の差異だった。

 自分の場合、歌はいつも「How(如何に詠むか)」に焦点を定めて詠んでいる。というより、意図せずとも自然とそうなっている。しかしながら大方の社員の方は「What(何を詠むか)」にも多大な労力を注がれているようだ。さらに加えると、後者しか考えていないようにも受け取れた。「何を」に当たる情報を優先させ、次にそれを「如何に」57577に組み込もうか四苦八苦する。畢竟リズムや調べが犠牲となる。

 自分は言ってしまえば題材はなんでもよく(この態度は短歌結社的に問題なのだろうが…)、とにかく対象から感じたことを「如何に」57577の調べに流そうかと思考する。テーマ軽視のため自ずと居住環境から自然詠が多くなるものの、表出された三十一文字はすでに私の言葉であるから、そこには私が映っている。誰かに喜んでもらえる歌に仕上がれば、至高の境地で幸福感を味わうことになる。

 両者のバランス維持が最上なのだろう。とはいえ、何のために歌を詠んでいるのか。やはり、贈る歌なのだ。あなたに、誰かに、後世に贈る。花のような歌を詠むのなら、いま問われても、WhatとHowならHowを選ぶ。何かを伝えたいというよりも、どう描写しようか、なのだ。自分が題詠を好むのも、そこが理由となるだろう。このあたり非常に和歌的かもしれない。そもそも詠歌の根本的姿勢が周囲と異なるようなので、浮いてしまうのである。でも、その詠歌には同時に大量のドーパミンを授けてもらっている。

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