あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

後拾遺集のころ

 『後拾遺和歌集 (岩波文庫)』発売予告を目にし、さっそく予約を入れた。この時代の芸術的背景に注目しているからである。表紙より。

 もの思へば沢のほたるもわが身よりあくがれ出づるたまかとぞ見る―—和泉式部・赤染衛門・紫式部を始めとする女性歌人の華麗な活躍等、平安最盛期の代表的な歌を網羅した第四番目の勅撰集。勅命は白河天皇、選者は藤原通俊。応徳3年(1086 年)に奏覧。『拾遺集』撰進から 80 年後、大きく転換する時代の歌壇の変化を反映している。

 古今集よりの三代集で閉塞感に包まれていた歌壇が、それをどう打破し新しい創造を模索していったのか。これは、文学だけでなく藝術と相互作用したできごとなのだろうか。表紙の言葉から、女性歌人らの存在がその変化に反映したことが受け取れるが、どのようにして。

 染色家の志村ふくみは『ちよう、はたり (ちくま文庫)』で平安期の襲の色目に言及し、こう述べている。(116 頁)

 あの平安期になぜあの様に、抜群の色彩表現が可能になったか。その後の各時代を見渡しても、かほどの絢爛たる優雅な表現力は見出すことができないほど(で)ある。それは私にとって解き明かすことのできない深い謎でもある。

 同様に、風巻景次郎『中世の文学伝統 (岩波文庫)』。(40 頁)

 和歌、というよりは京都宮廷の文化の一転機が、『拾遺集』から『後拾遺集』の頃にはらまれつつあった。……文学史の方でいえば、『枕草紙』『源氏物語』…などの生まれた頃である。

 この頃の芸術全体の特色は絵画的要素の支配した点であった。…文学の上では描写が成立して、読む中に、まざまざと視覚的映像をよびさますような技巧が生まれる。これを文芸的な方でいえば、『枕草紙』などは絵画的特色の粋ということが出来るであろう。日本の歴史の上で未だあらわれたことのないものであった。

 歌壇の変化に注目しつつ、絵画的、視覚的表現がどのよう生じたのか、後拾遺集にその糸口が見つかることを期待したい。 

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