あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

十題百首

 十題百首には、良経、慈円、定家、寂蓮が参加。二十八首残る寂蓮以外、三人は百首を各家集に収める。十題は、天象、地儀、居処、草部、木部、鳥部、獣部、虫部、神祇、釈教で各十首。

 良経歌と定家歌の比較を楽しんだ。

 良経歌に関しては、一一九〇年に入内した妹任子への期待や与祝が背景にあり、概して政教性の強い歌が多い(補注315頁)とあった。なるほど、時勢もあるのかと得心がいく。というのも、たとえ政教性は認められなくても、全体が何かに押されて強く前に出る勢いに包まれている。これは定家歌と比してみると際立っている。良経歌には若さならではの直截簡明な感覚、七歳年上の定家歌にはなめらかでやさしい高雅が見て取れる。

 歌題として獣部や虫部が珍しいと感じられた。獣や虫の各選択は独自なので、何を歌材に選んだのか知るだけでも興味深い。以下、先が良経歌、後が定家歌。

獣部

  • 良経:馬、鹿、猿、犬、狐、熊、牛、猪、虎狼、鼠
  • 定家:馬、牛、猪、兎、犬、猿、熊、狐、羊、虎

山がつの裾野に放つ春駒は開きてけりな草の下道

いつしかと春のけしきにひきかへて雲井の庭にいづる白馬

  良経は野の春駒、定家は宮中の白馬を歌材として選択。

道のべに過ぎける牛の跡見れば心の水はたぐひありけり 

霜ふかくおくるわかれの小車にあやなくつらき牛のおと哉

  良経は「牛」を「憂し」にかけ、心を水になぞらえた。定家は後朝の別れをして帰ってゆく恋人の牛車の車輪の音を詠む。

夜の雨のうちも寝られぬ奥山に心しをるる猿の三叫び

花ざかりむなしき山になく猿の心しらるゝ春の月かげ

  両者、寂しく泣く猿の声を詠むが、良経歌は叫びが強く、定家歌は遠山から微かに聴こえてくる。(ともに和漢朗詠集)

世の中に虎狼は数ならず人の口こそなほまさりけれ

たか山の峯ふみならす虎の子ののぼらむ道の末ぞはるけき

  良経歌に一笑。人の口のほうが恐ろしいという(故事)。定家は隠喩を用いた。中国で将軍は竜虎に喩えられることから、「虎の子」は良経、「高山」は高い官位の比喩で、順調な出世コースを歩んでいる良経を寿ぐ心を籠めているか(注釈)という気遣い。

虫部

  • 良経:蝶、蛙、蚊、蛍、蝉、機織虫、松虫、きりぎりす、蜘蛛、蓑虫
  • 定家:蛙、蛍、蜘蛛、蝶、蜩、蜻蛉、蚊、蜂、蓑虫、紙魚

わが宿の春の花園見るたびに飛びかふ蝶の人なれにける

人ならば怨もせましそのの花かるればかるゝ蝶の心よ

  ともに蝶と人を詠みこむ。「わが家の春の花園を見るたびに、飛び交う蝶が人間に慣れているなあと思う」と良経は見たままの感想。「園の花が枯れると遠のいてしまう蝶よ。もし人だったら、恨みもしようものだ」と定家は擬人化にて想像する。

おほかたの草葉の露に風過ぎて蛍ばかりの影ぞ残れる

夜もすがらまがふほたるの光さへわかれはをしきしのゝめのそら

  良経は白露と蛍、定家は星と蛍を重ねた。ともに光る対象で蛍を描き美しい。

夏の夜は枕をわたる蚊の声のわづかにだにもいこそ寝られね

草ふかきしづの伏屋のかばしらにいとふけぶりをたてそふる哉

  歌材として珍しい蚊の歌。良経は蚊に悩まされる夜をそのまま詠む。定家は蚊柱を追い払う蚊遣火に立つ煙を詠む。ともに厭わしい経験。

みな人は蝉の羽衣ぬぎすてて今は秋なる日ぐらしの声

み山ふく風のひびきになりにけりこずゑにならふ日ぐらしのこゑ

  良経は人の感覚を詠み、定家は風のひびきとなる蜩の声を重ね聴覚の余韻を残す。

 最後の定家歌、紙魚という選択にどのような歌なのか胸が躍ったが、そのままを詠んでいた。

おのづからうちおく文も月日へてあくればしみのすみかとぞなる

 ちなみに良経の有名な一首はこの十題百首の天象十首に見える。二十一歳の心の果てにこの気色が視えていたとは驚くばかりで、その感性を讃えたい。

春の花秋の月にも残りける心のはては雪の夕暮れ

秋篠月清集/明恵上人歌集

藤原定家全歌集 上

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