あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

微視と巨視

 清少納言の『枕草子』は絵画的描写を用い、後宮の様子を活写している。なぜ、清女が絵画的視座を持ちえたのか。ひとつの試みとして、三代集における色彩、天象の扱いの他に、対象への距離感を調べる作業も加えたいと感じた。それは微視と巨視。『枕草子』には微視的な描写が溢れている。

 『花のもの言う』(256頁)に『枕草子』と『古今集』における微視的、巨視的な桜の描写について指摘があった。

 清女の微視的な観察態度は以下に見える。

桜は、花びらおほきに、葉の色こきが、枝ほそくて咲きたる

 一方で、遠く桜を望み見る歌(ともに古今・春上)は以下。

さくら花咲きにけらしもあしひきの山のかひより見ゆる白雲(貫之)

み吉野の山べに咲けるさくら花雪かとのみぞあやまたれける(友則)

  作者の国文学者としての感覚では、「時代が下がるにつれて、桜花の歌はともすれば巨視的な見方に立ってのそれが多くなっていくように思われる」という。この箇所では例の「花月百首」から二首を挙げ、遠景に言及する。

葛城のみねの白雪かをるなり高間の山の花ざかりかも(良経)

明けはてず夜のまの花にこととへば山の端白く雲ぞたなびく(定家)

  遠景の傾向となった理由には、建仁二年(一二〇二年)の三体歌会で「春・夏は太く大きに」詠めと提案した後鳥羽院の命の影響があるという。そのような奨励のもとで、遠景がもてはやされた…とは。現代で言えば、歌壇の重鎮の一声で歌の時代性が決定されるといったところか。なかなか興味深い史実を知り、さて、そこで自分ならどうしたか、などと思いを巡らせた。

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