あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

 気になる花に菫がある。芭蕉と漱石の句で好きになり、赤人の歌でさらに、三十一文字にて詠まれる菫にも惹かれるようになった。

山路来て何やらゆかし菫草(松尾芭蕉)

菫ほどな小さき人に生まれたし(夏目漱石)

春の野にすみれ摘みにと来しわれそ野を懐かしみ一夜寝にける(山部赤人)

 特に漱石のこの句が好きで、何年か前、結社月詠に上の句へそのまま置いてしまい、あれは良かったのだろうかと未だに反省している。 個人的に大好きな歌に仕上がったので本人は多いに満足しているのだけれど。

 特に菫のような小さな花が詠まれると、野の豊かさと大らかさが背景にあるゆえか、梅や桜とは異なる親近感を抱く。一首に咲く花によって、実際の花を目の前にする時間よりも、その色や匂いはさらに濃く深く甦り、思い出としての花が永久となってゆく。歌が花へとうつり始めるのである。こうして、子どもの頃、身近に見られた菫は句や歌を通してとこ永久の愛しい紫の花に変わり、いつも寄り添うこととなる。

 興味を抱いた句が近世・近代の作品だったので、菫から受ける印象は感覚として現代に近いと感じている。中古での菫の存在は単なる雑草のようだ。勅撰和歌集では、廃れた庭に見られる草との描写が多い。

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