あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

 橘は古典において多く貴く扱われている。

 漢詩人である後中書王具平新王は次のように詠じた。

枝には金鈴を繋(か)けたり春の雨の後 花は紫麝(しじゃ)を薫ず凱風の程(和漢朗詠集・夏、橘花)

 清少納言は、

花のなかよりこがねの玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露にぬれたるあさぼらけの桜におとらず。(枕草子、木の花は)

とたたえ、萬葉集には、

橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜ふれどいや常葉の樹(萬葉集・巻六)

 とある。実、花、葉の視覚、嗅覚から生まれるみずみずしさと、「さへ」の生み出す音律がなんと魅力的な歌だろう。

 このように『花のもの言う』は香しく、麗しい花にまつわる古歌を紹介するのだが、興味深い古書からの言及もあった。中世の『源氏物語』批評書の一つである『源氏四十八ものたとへの事』は「果報 明石の上」と述べ、藤壺以外で、源氏に関わった女性の中でもっとも幸福な存在は明石の上という。樺櫻にたとえられた紫の上と「桜と橘」で対をなし、さもありなん。

 花の歌づくしの一冊に、心が和む。書籍名が「花のもの言ふ」であればさらによかったのにと思ってしまふ。

花のもの言う――四季のうた

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