あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

良経の「枯野」詠草 

 兄良通の急死から九条家の後嗣となり、妹任子の入内後、良経は歌人として才能を開花させていく。

 最初の歌会主催は文治五年(一一八九年)、二十歳での雪十首歌会。これ以降、九条家を舞台に続々と歌会、歌合が開催され、新古今前夜的な時代に入ってゆく。

 もっとも有名な良経主催の歌会は六百番歌合だろう。成立は建久三年(一一九二年)から同五年頃にかけて。判者は藤原俊成。良経が「枯野」題で詠んだ一首は後世の歌人たちにも絶大な影響を与えることになる。 

見し秋を何に残さむ草の原ひとつに変る野辺のけしきに(秋篠月清集・三四二) 

判にいはく、左(良経詠)、「何に残さむ草の原」といへる、艶にこそ侍るめれ。右方人、「草の原」難じ申すの条、もつともうたたあるや。紫式部、歌よみの程よりも物書く筆は殊勝なり。その上、花宴の巻はことに艶なる物なり。源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり。

  注釈「以前に見た秋の景色を何に残そうか、色とりどりの草花が咲く草原よ。枯れ色一色に変わる野辺の景色に。」

 秋草の彩りと枯野の荒涼とした寂しさのイメージが幻想的。移りゆく季を留めておきたい気持ちが切々と伝わり、良経二十三歳の感性に感服する。

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