あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

空と海と水平線

 空と海と水平線…は好きな歌材で、季を問わず詠みたくなる。子どもの頃、よく青系の画材を取り出して、ただひたすら線を重ね引きし、空と海と水平線を描こうとした。視覚で濃淡を確かめる時間の心地よさ。やはりここにも心地よさが存在していた。

 そんなことも相俟って、『花のもの言う』(99頁)の問う…海原の水平線には「雲居」が広がるものかどうか…には興味がそそられた。百人一首にとられている海の一首に関し、契沖、賀茂真淵、香川圭樹の解釈をそれぞれ紹介する。

わたの原こぎいでて見れば久方の雲居にまがふ沖つ白波(藤原忠通)

  契沖(百人一首改観抄):「雲居」は天であって、雲ではない。

 賀茂真淵(宇比麻奈備):『万葉集』では「雲居」とは曇りのこと、遠距離のこと、ただ空のことを意味するが、後世は雲の下りていることと、天のこととの二つの意味があり、この場面では「空に下り居る雲」の意であり、「雲居」は低く下りている雲の意。

 香川圭樹(百首異見):契沖解釈を支持するが、「まがふ」の意味を「ただひとつに混ずる事」と深く探り、契沖が「白波」をただの言葉のあやのようにとらえていることに異を唱えている。

 「雲居」を天空ととらえるのか、雲ととらえるのか。

 承安二年(一一七二年)、『広田社歌合』における「海上眺望」の題詠では五十六首が詠まれ、「雲居」を雲ととらえた歌の例があった。

天つ空雲居や海のはてならむこぎゆく舟の入ると見ゆるは(小侍従)

 だが、「雲居」は一概に雲とは言い切れず、かといって単純に空とは割り切れない。その「雲の連なっているあたり」という遠望が幽玄さにもかかわってくるらしい。

 それにしても、後世への百人一首「わたの原…」の影響は大きかったという。以下、順に藤原盛方、藤原頼実、惟宗広言、藤原懐能の歌。

こぎいでてみ沖海原見わたせば雲居の岸にかくる白波

はるばるとお前の沖を見わたせば雲居にまがふあまの釣舟

わたの原雲居はるかにこぎいでて夕日にまがふあけのそほ船

奈呉の海の潮路はるかにながむれば雲立ちまじる沖つ白波

  最後の一首、懐能歌の判者、藤原俊成も「雲居」を「白雲連なる水平線」のように受け止めているようだ。

 最後に、「雲居」は使われていないが、忠通の歌と同じ意で詠まれたのではないかと思われる西行の歌も引用されている。

山もなき海のおもてにたなびきて波の花にもまがふ白雲(西行)

 個人的に「雲」ははっきり雲としての存在感を発揮した言葉と認識する。「雲居」は字の意のとおり「雲のあるところ」と解し、雲の周辺、雲のまわりのぼかしのかかったあたり…とのイメージを抱く。春は桜と雲居の組み合わせで詠むことが多い。夏は水平線と雲居を組み合わせてみたい。

花のもの言う

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