雪月花
藤原定家「花月百首」に見えた雪月花を詠んだと思われる二首に関して。『万葉集 (四)』より大友家持の歌と『和漢朗詠集』より白居易の詩を引く。
大友家持
宴席詠雪月梅花歌一首
雪の上に照れる月夜に梅の花折りて贈らむ愛しき児もがも
雪の上に月が輝いている夜、梅の花を折って贈るような、愛すべき人がほしい
註に「雪月花の美意識の最初。中国のそれと平行的で白詩の影響ではない。今、眼前に梅の花はない」とある。作者大友家持(七一八?~七八五年)と白居易(七七二~八四六年)の生年を確認。この美意識は大陸文化の影響ではなく日本的であった。
白居易
交友
琴詩酒友皆抛我 雪月花時最憶君
琴詩酒の友は皆我を抛つ 雪月花の時に最も君を憶ふ
(あの時江南で一緒に)ことを弾き、詩を作り、酒を楽しんだ友は、皆私を捨てて散り散りになってしまった。雪や月や花の風情を愛でる時節になると、とりわけ君のことを懐かしく思い出す。
白居易の雪月花は、雪月花の各季節を懐かしむ追憶に留まり、その場で雪月花に焦点を当てて対象や気分を詠んでいるわけではない。註に「雪月花の語の出典となる詩句」とある。ひとつの言葉として「雪月花」を記した最初の詩歌であった。
藤原定家
あくがれし雪と月との色とめてこずゑにかをる春の山かげ 六〇八
春の山蔭(山蔭の地)では、王子猷があこがれた雪と月の、ともに白い色を梢に留めて、花が薫っている
補注:
『蒙求』などにいう子猷尋戴の故事をかすめるか。
「嘗居山陰、夜雪初霽、月色晴朗、四望浩然、独酌酒、詠在思招隠詩、忽憶戴逵、逵時在剡、便夜乗小舟詣之、経宿方至、造門不前而反、人問其故、徽之曰、本乗興而来、興尽而反、何必見安道邪」(晋書・王徽子伝)
メモとして大辞林より剡渓訪戴えんけいほうたい:「世説新語」の故事による山水画の画題。雪の夜、王子猷おうしゆう(王徽之おうきし)が、思い立って曹娥江上流の剡渓に戴逵たいきを訪ねたが、門前まできて引き返した。人にその理由を尋ねられて、興にまかせて行ったが、興が尽きたので引き返したまでだと答えたという。王子猷訪戴。雪夜訪戴。
補注に中国故事が紹介されているが、定家の「あくがれし」という憧憬は家持歌に向けられたもの…とは考えられないのだろうか。
そらは雪庭をば月のひかりとていづこに花のありかたづねん 六二六
空は雪の降るよう、庭は月の光のさしているようで、どこに花のありかを尋ねたらよいのだろうか
あきらかに雪月花がテーマだと直感したが、注釈には何も言及がない。むしろ、当たり前すぎるのか。
雪月花。とても美しいので同様の視点でもっと詠まれてもいいと思う。ただ、一首に三つを組み込む設定はすでに固定されているので、偏狭的なのかもしれない。