もみもみと
語感、身体感覚、いずれにしてもうまく実感できない副詞に「もみもみと」がある。歌への賞賛なのだが、個人的にぴんとこない。
この言葉は『後鳥羽院御口伝』で源俊頼を評する際に使用されている。該当箇所では源経信の言葉における品格と優美に言及した後、彼の息子俊頼を称える。
…又俊頼堪能のもの也。歌すがた二様によめり。うるはしくやさしき様もことにおほくみゆ。又もみもみと人はえよみおほせぬ様もあり。…
また、俊頼は熟達している。歌のすがたは二通りに読める。麗しく優しい歌体が見られ、また、技巧をこらして(他の)人は詠みとげることができないような歌体もある。
旺文社全訳古語辞典によると「もみもみと」は「和歌で、深い内容を表現することに心をくだき、修辞をこらすさま」とある。
技巧をこらす。つまり、修辞に長けていること。掛詞や枕詞、縁語などは、現代には忘れられていそうな歌の構成要素である。でも、ほんのり使ってみると思いがけない効果を生み出す媚薬的存在だ。
「深い内容を表現することに心をくだき…」…これはいつも大切にしたい。修辞を用い、これを得ることが「もみもみ」なのだろうと結論づける。今後、俊頼の歌を読む際、思い出そうと思う。