あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

枕、源氏の言葉使い

 枕草子は源氏物語にとり、素材の宝庫だった。『清水好子論文集〈第3巻〉王朝の文学』43の冒頭。著者は、源氏物語による枕草子からの素材利用に言及し、「対抗意識に燃える紫式部は清少納言が指摘しておいたものを、見事に物語の中に生かし切ったことを誇るのであろう」と記す。

 一方、書かれている事柄が似通っていることとは対照的に、両者の文章には著しい差異が見られる。43「枕草子の言葉の使い方」から、枕、源氏の文章の特徴を挙げていく。

紫式部の文章の特徴

  • リズムを持った長文。
  • 式部は文章を書こうとするとき、さっと居ずまいを正したのではないかと思うほど、改まった調子。けっして思いついたままを書かないで、想を纏め、言葉を凝集し、ある望ましい形に整えようとしている。
  • 漢詩文の凝集と、和歌の持つリズムや用語にかなうことを目指した。
  • 引き歌が多い。文章の中にすっかりまじりこんでしまった引き方もある。→文章に七五調を主にするリズムがあることと関係する。
  • いつでも和歌をのせることのできるような文章。

清少納言の文章の特徴

  •  リズムに無関心の短文。
  • 七五調ではなく、引き歌も少なくわずか六例。
  • 多くの人々の会話や手紙が記録されているので、上流社会の言語意識や感覚を知ることができる。
  • 自らの見識を披歴。定子後宮における役割や庭訓のほどを示している。
  • 言葉使いについて他の女房より一段と意識的。枕草子の叙述の中に用いられている敬語の使用法もほとんど乱れがなかった。
  • たんに敬語のみならず、言葉使いや優雅なもの言いに敏感。その優雅なもの言いとは、和歌や漢詩文を踏まえた言い方であると考えていた。(上流社会では挨拶の場合や、手紙の言葉には引き歌や故事出典のあることがのぞましいとされていた。)
  • にもかかわらず、枕草子の叙述の文章に優雅さを心がけた気配はない。
  • 文章の脈絡の中に古歌がはめこまれ、溶けこんでいるというよりは、記述の対象として意識されている。
  • 歌に詠みこまれた対象の批評、感想を記す章段を生む。→つまり、清少納言と和歌の関係は深い。

 ここで著者は疑問を呈する。「清少納言は、なぜみずから文章を書くときは、中宮にものを申し上げ、手紙をさし上げるときのような優雅なものいいを捨てたのであろうか。紫式部はそれを採用している。」

 この答えを導き出すために、定子後宮における清少納言の評価に目を向ける。

清少納言の評価 

  •  誰よりも詳しく鋭く、他人の見ないところまで見て観察している。
  • 常識を打ち破り、人の意表をつく。
  • ものの見方は変わっていて面白く、それを表現する能力がある。
  • 感受性が人より振幅が大きく、変わっているので人の注意を引く。
  • この個性が後宮生活を多彩にし、人々を圧倒した。

 特に、定子不遇時代にその才気が発揮された。「権力を奪われたものが、ほこりを保つ唯一の方法は精神的文化的な高さを誇示することであったのだろう」とする的確な指摘が刺さる。

 変わった視点を伝える約束事として、著者は清少納言が厳守した二点を挙げる。

  • 彼女の特異な観察や評価がけっして同時代人の価値の基準を踏み外さないこと。それを数歩先に進め、より微細により範囲を拡大していくこと。
  • それを正確に伝えること。

 つまり、清少納言は文学的なスタイルよりも描写に専心し、旬の話題や事物を「正確に伝えること」を念頭に執筆したのである。

 枕草子の特徴まとめ

  • 文章の短さ。微妙な生動は長文では動の気配を伝えにくい。
  •  言葉による新しいものの発見
  • つねに事物に興味をそそぐ
  • 過去の文学想起にとどまらず、つねに新しく変わった面を求め、それを正確に伝える。
  • 同語反復も苦にしない。(文章の整斉による文学の世界よりも、ものの世界に眼を向けているため)
  • ものごとを正確に伝えるために、擬態語、擬声語も頻りに用いた。
  • 漢語が多い。源氏は意識してそれを避けた。
  • 俗語、日常語の使用
  • 多彩豊富な話題
  • 豊富な題材がそのまま放り出されている。

 著者の結語が面白い。「歌を詠み、物語を作るには彼女のようにあまりに多様にものが見えてはならないのである」。枕は、事象を詳細に観察し、それを正確に伝えるために的確な描写に努めた。それまで誰も思いつかなかった題材を取り上げ鮮やかに描写した文章は、人々を瞠目させて一世を風靡し、千歳の時を永らえることになる。これと対照的な源氏の筆致は常に枕を意識した上に生まれたのであり、換言すれば清少納言の個性抜きに源氏は誕生しえなかった。

清水好子論文集〈第3巻〉王朝の文学

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