あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

枕草子の描写表現

 風巻景次郎は『中世の文学伝統』において枕草子の描写における「絵画的特色の粋」に触れ、「日本の歴史の上で未だあらわれたことのないものであった」と指摘している。例として最初に挙げているのは、「木の花は」の 34 段。

五月ついたちなどの頃ほひ、橘の濃く青きに、花のいと白く咲きたるに、雨の降りかかりたるつとめてなどは、世になる心あるさまにをかし。

 明るい晴れた日でもなく、茜色の夕陽の中でもなく、ただ雨の降る早朝の少し冷えたほの明るさの中の橘を葉の「濃青」と花の「白」を用いてたたえている、と風巻は感嘆する。確かに枕の情景描写は色彩が豊かで絵画的である。なぜ、そうなのか。屏風絵が盛んに制作されていた頃と重なるため、美術方面からの影響があったのではないかとの指摘があるようだが、どうか。個人的に枕の絵画的描写は清少納言の感性の表出であり、これを認めていた中宮定子の心眼とその後宮文化の存在が寄与していると感じるのだが、これはまた時間をかけて追及していきたいテーマだ。風巻は、枕を起点に和歌が絵画的、視覚的描写を取り入れ始めたと言及しており、実際に歌に触れながら確かめなければいけない。

 『俳句の世界』に興味深い指摘があった。小西甚一は蕪村の俳諧について、見たままの実感をそのまま模写する態度が作品には見られないと明言し、画人の態度を例に挙げながら対象を見つめる目について以下のように記す。

大觀であったか關雪であったか、わたしは、松なら松を見て、好いなと思っても、それをすぐには描かない、すぐに描くと、いやらしくなる、描かずに幾年かその印象を温めておくうち、だんだんこなれてきて、純粋に美しいものだけが残る、それを描くのだ――といった意味のことを述べられたのが記憶にある。蕪村の表現精神もそれである。

 事例は後世のことであるが、清少納言の視点もこれと同じではなかったか、と感じた。枕は事象、事件を振り返っての執筆であったし、彼女の中で対象を十分に寝かせて俯瞰し表現する時間があった。時間を置いて、そこに残ったものにこそ美が存在する。そのような効果が、枕にもあったのではないかと思う。

 また、枕には複合語が多い印象を受ける。宮中の様子を活写し、自然の景物を鮮やかに描写できた理由のひとつに複合語の多用があるのではないか。これも自ら確かめてみたい。

中世の文学伝統  

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