あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

道のはじまり

 日本中世に誕生した「道」の理念は、日本の精神文化の屋台骨となる。歌合が遊びから勝負へと変わり、真剣な作歌姿勢が家の存続にまで影響を及ぼした背景は、同時代の欧州文学周辺から仰視すると、高度な文化社会だと称賛せずにはいられない。

 道とは何か。わかりやすく説明した『中世の文芸―「道」という理念』の冒頭から、その性格を 5 つ列記する。

  • 専門性 「道」とは専門性を意味する語。ある分野について特別な修練を経た者だけが実践可能な世界であり、その世界で合格点に達した者は「みちの人」とよばれた。
  • 継承性 専門性はそれ自身を保持するため、長い時代にわたり承け継がれてゆくことが必要とされた。継承を可能にする実践の単位は「家」であり、家が継承されないところに道はありえない。
  • 規範性 承け継がれてゆくのが道だとすれば、既に存在する規範どおり修練することが第一であり、自発的な創意や工夫はあまり有用とされない。(中略)真の自由を我がものとするため勝手な私意を否定した。
  • 普遍性 閉鎖的な規範の実践を通じて真の自由といった境地に到達できることは、道の個別性が、同時に他のあらゆる分野にわたる普遍性をもつことにほかならない。あるひとつの分野で高度の域に達した者は、他の分野における達人と共通な真理を体得している。
  • 権威性 ある種の道が社会に対しあまり直接の有用さをもたなくても、高度の域に達するとき、ひろく尊重されている分野の道と共通な真理を体得させるという考えは、すべての種類の道にそれぞれ権威を認めることになる。

  現在、「家」の存在に「結社」が代わっていると思われるが、歌の上達のためには結社に所属して月々の詠草を送り、同時に、直接顔を向かい合わせて歌について語り合う歌会に参加することが一番の近道だと実感する。ただ、この結社の括りから外に出たときに、社会の広く一般的な享受者層に自らの創造を認識してもらえるか否かは、創造者自身の柔軟性に因るのだろう。とにかく続けるしかないという常套句に帰着する。

中世の文芸―「道」という理念

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