あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

月並み題詠

 『紀貫之』は学びの多い良書である。西洋化の嵐が吹き荒れた明治維新直後の和歌革新運動を紹介する中で、大変興味深い旧派のスタイルを紹介している。

 当時、宮中和歌を擁護した歌人たちは、文明開化がもたらした「開化新題」―国旗、演説会、時計、牛乳、祝砲、華族独歩、俳優被愛貴族、自転車、神葬、耶蘇協会、郵便端書、汽車、汽船、人力車、男女同車等―の全 177 題の新時代の景物を「性懲りもなく」相変わらずの古い題詠スタイルで読み続けたそうだ。『開化新題歌集』より一首を引く。

  蒸気船     八田知紀

竜の馬につばさを添へて行くばかり足とき船もある世なりけり

 「驚異はあっても、これを歌に詠む場合には、常識化し、古典化し、又説明的にするというのは、伝統的の題詠の詠み方である。題は新題であるが、詠み方は従来の伝統的のものに過ぎない」とは、窪田空穂の評である。 次に、子規が俳諧革新に関して掲げた五か条だが、同様に和歌革新にも当てはまる。

第一に、「我は直接にして感情に訴へんと欲し、彼は往々知識に訴へんと欲す。」

第二に、「我は意匠の陳腐なるを嫌へども、彼は意匠の陳腐を嫌ふこと我よりも少し、むしろ彼は陳腐を好み新奇を嫌ふ傾向あり。」

第三に、「我は言語の懈弛を嫌ひ、彼は言語の懈弛を嫌ふ事我よりも少し、寧ろ彼は懈弛を好み緊密を嫌ふ傾向あり。」

第四に、「我は音調の調和する限りに於て、雅語、俗語、漢語、洋語を嫌はず、彼は洋語を排斥し、漢語は自己が用ゐなれたる狭き範囲を出づべからずとし、雅語も多く用ゐず。」

第五、「我に俳諧の系統無く又流派無し、彼は俳諧の系統と流派とを有し、且つ之あるが為に特殊の光栄ありと自信せるが如し、従って其派の開祖及び其伝統を受けたる人には特別の尊敬を表し、且つ其人等の著作を無比の価値あるものとす。我はある俳人の著作といへとも、佳なる者と佳ならざる者とあり。正当に言へば我は其人を尊敬せずして其著作を尊敬するなり。故に我は多くの反対せる流派に於て、佳句を認め又悪句を認む。以上五か条の区別は大体を尽せりと信ず。」

 子規の指摘を現代に置き換えて考えてみたい。蒸気船の歌は、当時最先端の景物を千年前の詠み方で詠み、著しい感覚のずれを感じるし陳腐以外の何ものでもない。翻って、自分の詠み方を顧みる。自分の歌にも、ずれはないか。

 まず、新旧の心を体で理解して詠むことを試みたい。ただ、子規の提唱する「直情」は避け「不言の言」を貫きたい。方法としては、俊成・定家の説いた「詞は古く、心は新しく」の実践を試みる。日本の平淡美は、この国の芸術の示す最も高い境地である。この雅を失うことなく、今の心を澄明に表してみること。これが自分に与えられた課題なのだろう。

紀貫之

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