あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

十七文字と三十一文字

 十七文字と三十一文字の比較。十七文字は江戸期の蕉風を頂点に、この先これ以上の雅には到達できないのではないかと感じる。それほど芭蕉の業績が、十七文字の短詩型において完璧な永久の雅をもたらしたということなのだが。明治以降は子規、虚子から水原秋櫻子と山口誓子でひとつの流れを作り、それまで。現代は、暮しを豊かに彩るしゃれた短詩型として社会に容認されるのみで、蕉風の雅まで高められない気がする。十七文字という短さが、難しさと厳しさを内包する。定型、季語と縛りが強いことは、この先、歴史を生き延びる理由となる。

 季語のない三十一文字は、自由な分、さまざまな方向に流れやすく、定型を守らない限り、存続が危ういのではないか。定型厳守が十七文字よりも困難なことも理由に挙げられる。つまり、形式から見て自由律を確立した前衛の存在は罪だと思う。定型を守ってこその短歌なので、前衛は自由詩のジャンルに入れるべき。定型を守る限り、三十一文字の可能性は十七文字よりも大きいと感じる。SNS の波及とともに言葉の力を発揮する予感がする。新しい雅を創造する要素も十分に蓄えている。

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