本物の古典
紀貫之に関する一般書はきわめて少なく、著者は「子規以来のこと」となる歴史的事情に直面しながら筆を進めたという。この稀代の状況が健筆を支えるプラスの刺激になったと言い、『紀貫之』に重層的な魅力を加味する要因となった。
正岡子規に罵倒されて以後の貫之の下落ぶりは目も当てられなかったが、一方で碩学はみな、日本の精神文化の源である古今和歌集の存在を当然のこととして「本物の古典」と知悉していた。
本書は、貫之の和歌鑑賞も然ることながら、冒頭部分で論じる和歌革新運動についての叙述が面白い。窪田空穂の証言を引き、西洋化の嵐が吹き荒れた社会的状況下で和歌の辿った軌跡を解説している。古いものからの脱却を図った時代に和歌革新運動はたしかに文学青年の魂を鷲掴みにした。だが、その他方で、日本文化の足元を掬われそうな時世にそれでもなお、三十一文字が姿をとどめた背景には和歌好きな明治天皇を中心とした旧派による和歌愛好の存在があったという。
興味深いのは、子規が「古今の糠粕」と攻撃した当時の典型的な歌群である。以下、窪田空穂の「新派和歌の成立」から孫引きされた明治十年(1877 年)出版『明治現存三十六歌仙』中の七首を挙げる。
郭公 三条西季知卿
めづらしといひし初音ののちもなほあかれむものかやまほととぎす夢見紅葉 間宮八十子
ぬば玉のよはのまくらに見えつるはかべにぬるでのもみぢなりけり秋月明 松門三艸子
月かげをあはれといひてとるふでのうのけのすゑも見ゆるよはかな水辺立秋 小中村清矩
すむといふそらにかよへる水のうへをけさよりわたるあきのはつ風雉 海上胤平
ほろほろとつばきこぼれて雨霞む巨勢の春野にきぎすなくなり花見に嵯峨にまかりて 高崎正風
大ゐがは春もあらしのさむければ千鳥なくなり花かげにして歳旦 千家尊福
むかしより月日を老になさじとやくれてはとしのあらたまるらむ
子規先導の新派が改革に燃えていた一方で、旧派が連綿と宮中和歌文化を支えていたこの構図は、後世から振り返ると、一つの文化を継承する当然の公式と言えるかもしれない。つまり、両派が存在してこそ、歌は永らえた、ということである。一方だけではほとんど消滅に向かっていたかもしれない。
未曾有の情報革命の渦中に生きる今であるからこそ、本物の古典を知る存在が求められていると確信した。