あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

花鳥の使

 和歌は日本の精神文化の中枢であり、それゆえ、人文系では多方面からその分野ならではの考察が行われる。これが非常に新鮮であり、美学の視点から和歌を扱った『花鳥の使 ―歌の道の詩学 Ⅰ』にも夢中になった。帯に「理(ことわり)ではなく、心を表し伝えるための言葉はどのように形づくられたか。歌論にみる詩的言語の理論」とあり、中世歌論以外に本居宣長の歌論にも触れている。

 いろいろ書きたいことはあるけれど、初読したとき心に留まり覚えていることの一つを記しておきたい。聖書のキリスト系譜に言及した箇所だった。今、見てみたら「あとがき」にあった。

 著者は日本人の美意識に興味があり、「とりあえず日本美学の最良の遺産である歌論を読み始めた」という。最初に藤原俊成の『古来風体抄』を読み、和歌の深淵に引き込まれていくのだが、その嵌ったきっかけが興味深い。

 『古来風体抄』には法華三大部の一である『魔訶止観』が紹介され、開けばまず初段に釈迦以来の仏法相承系譜の記述があるという。「仏駄難提(ブッダナンダイ)、僧佉耶奢(ソウギャヤシャ)…」。この人名の羅列から著者はまず、新約マタイ伝「アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを…」のイエス・キリスト系譜を想起したそうで、うんざりした。だが、俊成自身の反応は違った。俊成はこのような系譜の部分を蔑ろにするどころか、むしろこれに感動していたという。理由は何か。以下、265頁より。

…一体この退屈な系譜が、どうして俊成には『尊さ』の念を起こさせたのか。…そしてある時、ふと思い当たったのである。俊成の考える〈歌の道〉とは〈仏の道〉と同じものではないのか。それは、和歌という作品の集積であるよりも、世界を見る見方そのもののことではないのか。この時、私には、俊成がなぜ仏法の相承の系譜に感動したのかがわかったような気がしたのである。

 「世界を見る見方」をいかにして伝えていくか。釈迦が弟子を増やしていった系譜は「一つの共同体が確かにあったのことの証」だった。自らの心を誰かに伝えねばならないと感じていた俊成にとり、この伝法系図はまさしく遣り様を仰ぎたい「尊さ」以外の何ものでもなかった。

 誰かが心を震わせ、その心をまた誰かに伝えたいと衝動を抱き、伝えてゆく。この「伝える」行為の連続が「続く」時間につながり、それを繰り返していつの間にか〈道〉になっている。

花鳥の使 ―歌の道の詩学 Ⅰ

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