あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

仮名序と真名序

 『古今集』の仮名序があまりにも白眉であるため、自分にとり真名序の影は薄い。だが、「花鳥の使」の意味を確認した際、仮名序と真名序の微妙な関係が垣間見えた。

 古今集愛好者にとっての至宝である『古今和歌集全評釈 上』(87頁)を開くと、伝本によっては仮名序も真名序も持たないもの、あるいは、仮名序しかないものもあるという。「定家本は真名序を持たないか、さもなければ巻末に補った形であった」。定家本の親本になった俊成本では「巻頭、すなわち仮名序の前に真名序がある」。さまざまな伝本から総じて「真名序の方は非常に不安定な伝わりかたをしていることを事実としてみとめなければならない」という。

 平安時代後期の一般の理解もそれにふさわしいものであったらしい。八代集を見ると以下のようになる。

  • 真名序と仮名序を持つのは『新古今集』のみ
  • 序がない『後撰』『拾遺』『金葉』『詞花』
  • 仮名序のみ『後拾遺集』『千載集』

  『古今集』において仮名序は紀貫之(八六六?~九四五?)、真名序は紀淑望(?~九一九?)の執筆による。二つの序の把握の仕方にはさまざまな研究があるが、先後問題については「真名序が先にあって、それを参考にしながら仮名序が書かれ、仮名序が正式の序になった」説が有力という。

 碩学の学識にまず頭が下がる。和歌の樹海をさまようものにとり、『古今和歌集全評釈 上』のような存在は闇の灯である。ぬくもりがある。

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