あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

昔と今の詠歌

 中世の詠歌は行事に備えて題詠を合計百首詠む習いのようだ。翻って現代は結社誌に月詠を送る形で歌の呼吸をする。

 結社とは明治以降に創設されたものであるし、考えてみれば不思議な組織ではある。その歴史は長いところでやっと百年余り。現代歌壇と言えば、発足が戦後と考えると、そこまでも届いていない。百年後、二百年後にも存続しているのだろうか。情報革命により社会の動き方は大きく変化しており、テクノロジーがどう詠歌に影響を及ぼすのか、誰にも想像できそうにない。

 仮に結社や歌壇が形骸化されすべてが可視化されたら、マスに受ける歌のみが世に降りはじめるのか。有心と無心に分かれて欲しいというのが唯一の願いである。連歌や俳諧がそうであったように、いずれそうなるとは思いたいけれど、昔はテクノロジーが存在しなかったわけでSNSの影響でどうなるか。

 詠歌に三多の実践を取り入れると、個人的に「inputは量より質、outputは質より量、revise/refineは納得するまで繰り返す」という図式が浮かび上がる。兎に角、これを繰り返すしかない。

©akehonomurasaki