あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

特に動詞

同じ定型短詩として俳句から学ぶことは多い。現代俳句協会のサイトにて読んだ「切れ、動詞、オノマトペ」の考察が興味深かった。 切れ。上から下へと流れる叙情が歌の命でもあるので、自分はなるべく持たせないように心がけている。連作の際、例外はもちろん…

パンドラの箱

口語短歌と情報革命(SNS)の同時発生が、三十一文字の今後を決定する分岐点になっている。いまだかつて歴史上で経験のなかった歌の変革期であり、未来の短歌の姿が決定される起因となる。 定型と不定型:定型に収まらない歌が多い。気持ちや内容を優先さ…

歌集

一般的に理解されている形態の歌集について、日ごろ思うこと。個人的に、興味はない。思い出として残すのであれば、家族向けへの家集として編集し、家族以外には渡らないものとする。歌集とは本来、家集であったはず。 紫式部集が 126 首、藤原俊成の長秋詠…

社会詠と自然詠、そして偽善詠

社会詠と自然詠―。そのイメージはわたしにとり、漢詩と和歌の延長線上にある。大陸に生まれた漢詩の伝統は古くから人の志を表したものであり、権力に対し民衆の声を上げる懇願でもあった。一方、島国の日本において和歌は人の心を表したものとして存在し、自…

月並み題詠

『紀貫之』は学びの多い良書である。西洋化の嵐が吹き荒れた明治維新直後の和歌革新運動を紹介する中で、大変興味深い旧派のスタイルを紹介している。 当時、宮中和歌を擁護した歌人たちは、文明開化がもたらした「開化新題」―国旗、演説会、時計、牛乳、祝…

本歌取り

表現論として本歌取り論をまとめたのは、藤原定家だという。『日本の文学論』に定家「詠歌大概」による本歌取りの考え方が紹介されている。 歌を詠む者は堪能の先人の秀歌を専ら手本とすべきで、取り入れる古歌の歌詞は、三代集(古今・後撰・拾遺和歌集)に…

本物の古典

紀貫之に関する一般書はきわめて少なく、著者は「子規以来のこと」となる歴史的事情に直面しながら筆を進めたという。この稀代の状況が健筆を支えるプラスの刺激になったと言い、『紀貫之』に重層的な魅力を加味する要因となった。 正岡子規に罵倒されて以後…

なぜ詠むか

その一、後世へ残すために歌を詠む。 とりあえずの目標は、百年後にも詠まれている歌、残る歌を作ること。欲を出せば、千年の歳月に永らうるかの希望もかすかに抱く。どのような歌が時代の風雨にも色褪せず輝けるのか、に最大の興味がある。自ら確かめるすべ…

源氏物語の時代

濃霧に覆われ、現れたかと思えばふいに消え、近づいたかと思えばうっすらと遠ざかる。そんな自分にとり分かったようで分からないままにあった和歌史にかかわる謎が、快著『源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり』により仄かに明かされ始めた。たとえ…

古今和歌六帖

歌を詠み交わした平安時代、歌のあんちょことして愛用されていたのが『古今和歌六帖』という。約四千首が掲載され、類別は立春から歳暮まで歳時や自然の景物、服飾、恋愛、祝賀などを取り上げ多岐にわたる。 平安人が作歌の際に換骨奪胎しながら利用していた…

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