あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

源氏物語の時代

 濃霧に覆われ、現れたかと思えばふいに消え、近づいたかと思えばうっすらと遠ざかる。そんな自分にとり分かったようで分からないままにあった和歌史にかかわる謎が、快著『源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり』により仄かに明かされ始めた。たとえば、「面影」や「気配」など高雅で深奥な日本的象徴詩歌の特徴は、『源氏物語』から授けられたとされるのが一般的な解釈である。では、なぜ『源氏物語』にそのような風体が備わっていたのか。資料の実証と最新の研究成果から平安朝を紡いだ本書が、その謎解きへの道しるべになってくれた。

 後宮女房として清少納言、紫式部が活躍した一条朝。この代に日本の精神文化形成に大きく寄与する社会的事件が起きたことは、偶然なのか、必然なのか。あまりにもドラマチックであり、事実なのか、虚構なのか、錯覚すら起こすほどだ。その事件の悲劇のヒロインは、実家が没落し後見を失った中宮定子である。

 時代は一夫多妻制。皇子を生ませることが公務である天皇にとり、一人の女のみを愛することは当時の常識を逸脱していた。にもかかわらず、一条天皇は定子への純愛を貫き、一心に寵愛したのである。この間、娘の彰子を入内させたい最高権力者、藤原道長は執拗に定子への嫌がらせを続けてゆく。道長が前代未聞の一帝に対して二后冊立を実現させた年、定子は二女出産後に崩御、享年二十四歳だった。彼女の生死は光輝と零落の象徴として記憶され、当時の公家社会に波紋を呼んだという。無常を感じた若い公家たちが続けざまに出家する社会現象まで引き起こしたのである。

 清少納言は中宮定子の女房、紫式部は中宮彰子の女房である。定子の生きざまを身近に目撃し、あるいは肌で感じ取った彼女たちはそれぞれの思いを文章に託した。『枕草子』と『源氏物語』はともに、中宮定子の生きざまにかかわる主題を持って誕生したのだった。

 では、冒頭に記した「面影」や「気配」を伴う風体は、どのようにして創造されたのか。中宮定子と一条天皇の置かれた状況から気づかされた点は二点ある。

 まず、中宮定子という無常である。知的な定子は明朗快活で、華やかな後宮文化を先導する魅力的な存在だった。それだけに彼女の在りし日の栄光と無残な散り方の落差は激しく、眼前から儚く消えた時空には悲哀が漂っている。そのような心的状況下では、定子を想起させるものを描写するだけで、得も言われぬ深い情感に包まれるのは自然なことだと思われる。言い換えれば、無常観を伝えるために、無きもの、あるいは失われようとしているものを想起させるような周辺の描写に筆を走らせることで意図的に「面影」や「気配」の在り方を生み出したのではないか。私はそう答えを受け取った。

 また、「面影」や「気配」の描写には、周知の惨事も起因した。誰の心にも悲惨な末路として衝撃を与えただけに、これ以上、傷心を痛めつける酷悪さは必要ない。むしろ直接性は回避されるべきではないか。そこで直接ではなく、間接である。丹念に情景を描くことで心象風景を浮かび上がらせ、哀しさ、美しさを増幅させる。これは、克明に語らずして事実以上の真実を物語る「不言の言」の原型となる。つまり、「面影」づくりの筆致の原点は、無常を具現した中宮定子だったということになる。

 次に、『源氏物語』に関して、中宮定子と一条天皇の愛情関係が原点ではないかという著者の提起に首肯せずにはいられなかった。桐壺、藤壺、若紫…と、面影はすべて定子である。一条天皇は姉のように慕い愛した定子を失い、彼女より十歳近く年下の妹、みくしげ殿と親しくなり懐妊させた。定子の面影を追ってのことである。ほかに后がいる状況での小変で、みくしげ殿は出産せずに死亡。享年十七、八歳だったという。一条天皇は再び「定子」を失った。振り返ると、一条天皇のすでに亡き定子への思慕こそ光源氏の藤壺への面影追いと符号し、『源氏物語』全編にわたる主題だったことが輪郭をはっきりさせて浮かび上がってくる。

 ただし同時に、これは作中において悟られてはならない事情でもあっただろう。つまり一条天皇をはじめ、作中人物から連想される可能性を残す実在人物の素性を隠すために、ぼかしの必要性が生じていたということだ。そこでは人物ではなく、情景によって描写する場面を多く持つ。丹念に情景を描き出し間接的に場面をほのめかす作風には、こうした背景もあったのではないかと思う。光源氏の想いが一条天皇のそれと重なるだけに、天子という存在への敬意もあり、言葉は厳選され、詳細は省かれた。このようにして「面影」や「気配」の風体としての在り方は、遮蔽の目的も含め『源氏物語』の根幹にかかわる筆致に至ったと想像するのである。

 それにしても、一条天皇はどのような面持ちで『源氏物語』を読んだのだろう。光源氏の想いに自らの姿を重ね、藤壺に中宮定子の面影を見ていたのだろうか。中宮彰子の心情は、どうであろう。『紫式部日記』に読者であったことが記されているが、興味は尽きない。

 定子は一〇〇〇年、一条天皇は一〇一一年に崩御。辞世は定子三首、史料により表現は異なるが一条天皇一首。美しく呼応し合い、千歳を経ても草葉の露の輝きを増している。

よもすがら契りしことをわすれずは恋ひん涙の色ぞゆかしき

知る人もなき別れ路に今はとて心細くも急ぎたつかな

煙とも雲ともならぬ身なりとも草葉の露をそれと眺めよ(定子)

露の身の草の宿りに君を置きて塵を出でぬることをこそ思へ『御堂関白記』

露の身の風の宿りに君を置きて塵を出でぬることぞ悲しき『権記』(一条)

 著者は冒頭で語る。

 本書がいざなう世界は、一見、歴史小説のそれに似ているかもしれません。しかし小説が本質的に小説家個人の想像力による創作物であるのに対し、本書は資料と学説のみに立脚し、あくまで〈伝えられてきた〉一条朝の再現を目指しています。何より心がけたのは、資料に耳を澄ますこと―史料や作品自体が持っている情感の世界を損なわずに、この時代をよみがえらせることです。

 貴族の日記として藤原道長『御堂関白記』、藤原実資『小右記』、藤原行成『権記』、文学作品では『栄華物語』『大鏡』、随筆・日記作品として清少納言『枕草子』と紫式部『紫式部日記』を引用し、資料の実証により一条朝を甦らせる試みは日本の精神文化史に貴重な足跡を残した。

源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり

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