あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

中宮定子へのオマージュ

 「あけほのむらさき」というタイトルは、中宮定子へのオマージュである。「面影」や「気配」といった直接に語らずして心情を描写する「不言の言」の精神文化は、『源氏物語』が由来とされている。その大長編に影響を与えたと言われる『枕草子』は、今からほぼ千年を遡る平安一条朝で定子が彩った後宮文化を描く。源氏も枕も執筆に関しては定子が主題だったと考えられており、和歌に「描写型」を誕生させる契機となったこの二作がわたし個人の作歌の原点になっている。

 知的で明朗快活だった定子。だが、その華やかさとは裏腹に実家が没落してからの零落ぶりは無残で、無常観の象徴となったほどだった。『枕草子』は笑顔の絶えない姿を活写するが、実態は対極だったのである。だからこそ彼女の姿は悲哀に満ち、美しく永らえる。わたしはその存在がふと目の前に浮かび来るような言葉を選びたかった。

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明かりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。

 人口に膾炙する『枕草子』第一段の「あけほの」も「むらさき」も、明るく高貴な定子の象徴である。「あけほの」は、これから新しい一日の始まる清清しく明るい気持ちでもあろう。「むらさき」は吉兆の紫雲と気高い色から中宮定子の姿そのもの。清少納言が意図したように、品格のある心やさしい定子に重なるイメージだと思う。

 定子の生涯は、後世の日本的精神文化形成に多大な影響を及ぼした。鎌倉時代に『六百番歌合』で判者を務めた藤原俊成が「源氏見ざる歌詠みは、遺恨の事なり」(冬上十三番「枯野」判詞)と言明したことに遡り、『源氏物語』『枕草子』が歌の世界に与えた心を読み解きたい。一介の歌詠みとして、どうしても自らの目で確かめたい。そんな気合いで名付けてみた「あけほのむらさき」である。定子のように四季の彩りや古典への敬愛をしたためながら、ふと手帖に記すように構えることなく、まことの言葉を残していきたい。

源氏物語の時代

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