あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

芭蕉とつながる

 タイトルを「あけほのむらさき」と決めてまもなく、「曙」と「紫」の二語が登場する句と遭遇し瞠目した。それは、松尾芭蕉紫式部ゆかりの石山寺を訪ねた際の一句。十七音にぴたりと収まり、夜明けの宝石のような美しい空間を表現している。

瀬田に泊りて、暁、石山寺に詣、かの源氏の間を見て

曙はまだ紫にほととぎす

 東雲がまだうっすらと紫色に映る夜明け方、澄んだほととぎすの声が渡った。そのような情景だが、同時に「曙」と「紫」の連想から清少納言紫式部がこの初夏のころ、石山寺で巡り合うかのようなイメージも浮かんできた。後宮で二人が顔を合わせることはなかったそうだが、紫式部清少納言にライバル意識を抱いていたことは『紫式部日記』に記されている。わたしにとり興味の尽きない二人が元禄期の芭蕉俳諧で重なるとは、想像するだけで愉快になる。

 紫式部ゆかりの石山寺に詣でて清少納言の『枕草子』第一段を想起させるとは拙句、との指摘もあるようだが、そうだろうか。曙が春、ほととぎすが夏で季節がちぐはぐしているとの句評も読んだが、曙は印象は春かもしれないがその季語ではない。わたしにはむしろ、芭蕉翁は二人の存在を認めながら発句をしたためたのかもしれないとさえ感じられた。

 この句には、高雅な気色に包まれた宙が広がっている。その深層では日本の精神文化において「不言の言」を確立させた芭蕉が、「不言の言」の発信源となった平安朝後宮の双璧に遭遇する。偶然のような、必然のような。とにかく夢のような一句を知り、しばらく恍惚としていた。

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